ドキュランド 『ハイジHeidi』 director アニタ・フギ

ヨハンナ・シュピーリ 様 と,手紙形式でつづられる。

アルプスの少女,ハイジ」は150年経った今も愛されています。1870年ごろに誕生している。

物語はスイスに様々な夢をもたらしました。ビジネスにも利用され,ハイジは国の象徴であるとともに,商品を売るにも役立つブランドなのです。

然しハイジは,曾て女性に求められた価値観に収まらない勇敢で率直なヒロインでした。どうして貴女はこのような主人公を150年も前に生み出したのでしょう。そして作品と裏腹にあなたのことは知られていません。

『スイスの象徴になった少女~〝ハイジ″はこうして生まれた~HEIDIS ALPTRAUM  制作 SRF/SRG SSR/ARTE G.E.I.E./ Narrative Boutique (スイス・ドイツ・フランス2022年)

 

ヒルツェル スイス

作家 ヨハンナ・シュピーリ (1827~1901)

幼子を抱く 息子は早逝

表面的には地味・・だが,内面は・・・

自分の足跡を残そうとしなかった。何がそうさせたのでしょう?

 

マイエンフェルト スイス グラウビュンデン州 貴女がハイジの舞台に選んだ場所  牧草地 小路を歩いていました。原作者は,1879年の夏ハイジを書いていたころに滞在している。Heididorf(ハイジの村)

日本で制作されたアニメ絵画の一幕が自然の中に展示されている。観光地になっている。

バスや自動車や・・観光客の姿…スイス名物の大きなホルンの生演奏の響きがハイジの舞台背景を醸し出す。後でも頻繁に出てくるハイジの小屋。発祥の地として沢山の旅行者が訪れる。

 

ハイジの村,村長

取材者は聞く。小さな村の小さな家で 賢く大儲けをしている,どう思いますか?

私たちが賢いかどうかわかりませんが,ヨハンナ・シュピーリと彼女が残した物語が素晴らしいということです。あの作品には今日私たちに通じる感情が描かれています。そして今再び人々が求めているものを見出すことができます。故郷,愛情,助け合いや誠実さ,手つかずの自然などです。

フィルムは小さな小屋を訪れている旅行者の姿を映ずる。

「山に登るのがたいへんでしたら再現した小屋がココから2分のところにあって中も見られます」と観光案内のことばが・・・

≪観光化への皮肉批判にも聞こえる・・・なぜだろうか≫

 

ヨハンナ・シュピーリ様

ハイジは誕生から100年後に再び新鮮な輝きを放ちました。日本で作られたテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』が世界的人気を博し毎年何万人もの人々がハイジの家を訪れるようになったのです。アニメ界の巨匠たち,高畑勲,宮崎駿,そして小田部羊一らによる,このシリーズは原作に忠実な作品として知られています。ハイジはあなたが望んだとおり自由な少女として描かれています。リアルな牧草地はアニメに・・・『アルプスの少女ハイジ』(日本 1974年演出・高畑勲)

小田部羊一 作画監督・キャラクターデザイン

観光バスからスイスのハイジの舞台を臨んでいる。

彼の生の声が入る。少女ハイジのイメージはどうしてできたか。

高畑勲(演出),宮崎駿(場面設定・画面構成)

小田部氏のことばで回想される。

「私たちから手配したわけではありません。制作会社の社長が日本だけでなく全世界に見てもらいたいと・・そのためには・・・詳しくないので 現場を見に・・・46年前の・・・」(現場を懐かしそうに 中島(順三・プロデューサー)氏の・・・モミの木を 思いやる 絵と現実とが合わさる)・・・・持ち帰ったそれを皆さんで見ながら 風で揺れているシーンを作ったんです・・・」

ちょっとみたら 物語とそっくりの小屋がある・・・《原作者が書き残したのを呼んで描き,それを現地で認めている? 「リアリズムではないが,リアルに描こう」という指摘に合致する。小屋の先にある小屋をヤギ小屋にしよう,というふうに場面設定・・・。

宮崎駿は場面を作る仕事なのに,少しもスケッチしないで,どうやって描くのか不思議なのですが,ホントに自然をずっと見てるとかね,或は小屋なら小屋を観て,この柱はどうなっているのだろうと,この扉はどうやって開くのだろうとかね,・・スケッチに描こうともせずに,ただただキョロキョロ見回していた。(どうやってあの映像が出来上がったかを懐かしそうに述べている。あの映像が再現される。現実の小屋と符合させながら,

決して創作ではなく,現実に在ったものを基に作られていた)

訪問者には小田部氏ほか,中島順三さんと高畑かよ子(勲氏の妻)さんらが語り合う映像も。

 

原作者はどんな人?

1827年あなたが生れた場所ヒルツェルへ。チュウリヒこうを見渡せる山々に囲まれたところ。都会に出て20年以上暮らした貴女は幼少期に過ごした故郷に帰りたかったのでしょうか。貴女が育った家です。

父親は外科医で,精神科医でもあり,この家は地域の病院も兼ねていました。母親は讃美歌の歌詞もつくる宗教詩人で,今もこの村ではあなた以上に知られた存在です。しかし病院の仕事と詩を書くことで多忙な彼女は子供の頃の貴女の傍にあまりいられなかった。ハイジに母親がいなかったように。

あなたはきっときょうだいとこの土地を歩いたことでしょう,同時に貴女は父親の病院で病気や悲しみを身近に感じていました。貴女の小説にもたびたび病人が登場します。小説ハイジのクララもその1人です。彼女は回復し歩けるようになります。貴女にとって自然とは幸せをもたらすものだったのでしょう。

「シュピーリはハイジになりたかったのです。」【ジャン ミシェル・ヴィスメール 作家・文学研究者】

「ハイジはいわば子供の頃の自分を理想化した存在です。彼女自身自然豊かなヒルツェルで育ち,山も身近に在りました。」

彼女には親友がいたんですよね。

ええ,シュピーリの時代,古い体制の中では女性同士心を寄せあえることは重要でした。男性が力を握っていた時代でした。男性優位主義です。そんな時代だからこそ女性だけの関係が心地良かったのでしょう。シュピーリが愛情のこもった手紙を書いていた相手がベッツィー・マイヤーです。のち距離が出来ました。もう一人女性解放家のハミーユ・ビダールです。小説ハイジをフランス語に翻訳した女性で,シュピーリとは,いわば恋愛関係にあった。必ずしも性的な意味ではなく,二人は正反対の個性をもっていましたが,非常に親密な強く結びついた関係でした。いっしょに旅行若し翻訳も生みだした。一時ビダールが女性解放運動に余りに打ち込みすぎてシュピーリをウンザリさせた。

「なぜこの物語は人の心を打つのでしょうか」

この小説の特筆すべきところは都会と田舎(地方)との対比です。

町に出たハイジは抑圧され,やりたいことをすべて否定されます。

山を見たいと思って教会の塔に昇るが,見渡す限り,煙突と煙しか見えない。物語ではチューリヒではなくドイツのフランクフルトで日々の暮らしンは辛いもので,≪ココでは述べられないが,後で,彼女が人身売買されていたことがわかる,つまりドイツで過ごすのはその結果なのだ》当時は今の厳しさはないものの今日の私たちにも通じる。当時のシュピーリは鬱の状態であった。結婚のため保守的で信仰を重んじる田舎からチューリヒに移り,自分のよりどころが分らなくなった。弁護士の夫は食卓でも新聞を読んでばかりいるタイプで,典型的なブルジョアでした。シュピーリのチューリヒでの生活は幸せではなかった。生まれた息子は賢く音楽の才能もあったが病気のため29歳の若さで亡くなった。そして夫もまもなく亡くなります。シュピーリにとって,児童文学の執筆は心の避難場所だった。しかし病気や死を排除しなかった。作品は悲しみに満ちています。シュピーリは小説を書くことによって自分の精神が崩壊するのを防いでいたのだと私は思います」

 

ハイジは山に登った。息が切れて時々立ち止まる。足元の草が夕陽に染まった。振り向くと〇〇の山が空に向かって燃え立っていました。雪原が赤く輝きバラ色の雲が漂っていました。≪ココは大事な所,いかにハイジの内面に感情移入できるかがカギですね≫,そして,下の谷全体が金色に包まれていました。ハイジはその場に立ちつくし,頬には歓喜の涙が伝っていました」(きっと言葉では理解できないことかも。自然の現実に身を置いてこそ体得されるものかもしれませんから。そして作者が最も訴えたい要素と言えるでしょう。世界の不条理,男性優位主義含めて,雄大な自然,太陽の光輝…身を包まれる・・・)

 

親愛なるベッツィ。私は自分が地球の子どもだと感じます。地球から栄養をもらっています。<画面は,挿絵。窓辺で作者が手紙を書いている。窓辺にはあおい小鳥が一羽サンに停まりチョンチョン。チョンと降りて姿を消す,と,筆者はほんのわずか頭をぴくっと覗き込むような小さな動きを見せる。青い鳥は何処へ気にかかる何気ない外の自然との交流を愉しんでいるようだ。「地球の子ども」・・・。

「ハイジ アルプスの物語」スイス・ドイツ映画2015年 はコワイ映画ですね。ハイジの置かれた歴史的状況が陰鬱に厳しく描かれている。子どもの虐待,しかも女主人から・・晩餐の場面。給仕がスープを注ごうとすると,女主人が咎める。「アーデルハイト(幼い少女)は夕食抜きです。壁に向かって立っていなさい」(その威圧的な態度,鬱屈したシーンは欧州の映画ではよく見かける)

 

ハイジの映画化が舞い込んだというのは,脚本家・映画監督 ぺトラ・フォルペ。

ロケ模様が写される。シュピーリ作品は・・・

束縛 自由な人物を描くことで自分を解放

 

彼女の児童文学には 真実があります。ホンモノの世界,特に貧しい人々の世界を描いた。

ハイジは経済や政治に利用されている・・・

スイスのニュース映画 1955年 

50年代,自国のイメージを改善するためPR活動 ナチスとの ユダヤ人の資産を スイス銀行が保管していた・・。

シュピーリの物語にも 負の側面は描かれています。

身寄りのない子を詳細に描いています。ハイジがドイツに連れて行かれたのも,事実上,人身売買であることがわかります。私はリサーチしましたが,実際,子どもたちは安く売られていました。ハイジもそうだったでしょう。しかしそういう事態は多くの人たちに受け入れがたいものです。50年代に作られた映画でもこのことは焦点が当てられていません。

 

(手紙を通して…映す作者の真意)

50を残した文書 

ジーナ 医学を目指す少女

エミリー 初の女性法律家

フランス ハイジは 6冊発行されていた。ビダールで翻訳完成していたが,トリッテンが追補や全く新しい創作が作られた。

5才の少女ハイジは成人し,教師になり,家族をもち・・・おばあちゃんハイジまで登場・・・・赤毛だったハイジはついにブロンド娘に。

 

ハイジのイメージ 

ドイツ フランスにて 変った

映画で・・シャーリーテンプル,そして日本のテレビアニメによって新しい人生と顔を与えられた・・。

 

日本のキャラクターがハイジではない!! 一つにすぎない!!

 

リアリティのあるアニメをつくろうと・・・・。日本のアニメ制作者たちとの関わり・・・

・・・しだいに 『モモ』とダブってきた・・・。

 

原作者は 原稿を返してください・・と 自分の描いた用いられ方をしていない・・と・・・・ヨハンナの手紙はそこで終る。感謝合掌