こだわりは迷いである,と思う。迷う心を無くそうとつとめ,心経や真言を唱えてきた。しかし,どうだ,今の境涯は。

それがあったからこそ生きて来れたかも,と思い返している始末。迷妄を無くし慢心を抑え,フニョフニョに生きていたら精神病院に行っていたかもしれない。「悪」になれたからこそ,今がある。死んだら終わり。生きていればこそなのだ。度量の小さい俺にはこれしかなかったのかもしれない。度量,すなわち人間力はどこで付く?

 岩手のヒーロー(ショーヘー)も,静岡のヒロイン(イトウ・ミマ)も,スポーツの英雄だ。たとえるに憚れるが,この差はどこから来るのだろうか。

 物わかりのイイ人間だったらトックに没していただろう。よくぞ33年+アルファの年季奉公を勤め上げたものだ。吾ながらアッパレ,誰も褒めはしない。形ばかりの県からの礼状が届いただけ。定年退職のお祝いも無く,還暦の祝いもない。40年間ずっと働きづめで何の見返りもない(ように見える)。

さておふくろの享年と同じ年齢に近づき,ふと我を見返る。なあ~んだ 変わらないじゃないか,おふくろと。いや,お袋にも負けてるかも。自尊心はどこへ?尋常小学校3年しか行ってない親をバカにしてすべてが上だ思っていた人生は,変わらないどころか,超えてもいない?かも。二年も生き延びる力さえ失いつつある。 生かされる人生,合掌。

 

追伸 貧しさを知る人が強いとは限らない。貧困は人間を小さくする。凜にする。凜では人生を謳歌できない。たとえ貧しくてもこころまで荒ませてはならない。おカネ亡者になってはならない。子どもにそれを植え付けてはならない。子どもは豊かに育たなければならない。裕福のために身を滅ぼす人もいる。一生をかけて財産を食いつぶす,無くなって知るお金の値打ち。成功者となる岐路は何か? 伊藤野枝さんや,辻潤や 平塚らいてうや,幸徳秋水や・・皆共通するものが見える。辻潤の最期を見ただけで判断する勿れ。大杉栄以上に光栄なる男でした。羨ましい成功者だと思う。