オモシロい人 No.1? 欽ちゃんこと,萩本欽一さんではない。それに似た人です。平野レミさんの面白さの秘密?がわかった気がした。
『たーたん図鑑』 レミさんの3人の孫 『週刊文春』も孫たちが描いていた。たーたんとはレミさんの孫らの呼び名。理想的な家族ですね。
1.父親
フランス系アメリカ人。 戦中戦後の日本で?生涯を日記に残していた。
1945~亡くなる前まで。桐箱2箱【(1935~’85)計60冊】にて保管。
大好きな父親のことが「全部ワカルの」と,子供のようにはしゃいでいるレミさん。実は父・威馬雄さんは,モーパッサンやファーブルの訳書ももつ仏文学者,詩人。
日記の文字は日本語。しかも昔の言葉。当時の時代も教えてくれる。
敗戦の日,1945年8月15日 「平和来 陛下の玉音を放送 ・・・清浄な嗚咽」
「これ,ルイボウダと読むのね,私勉強しちゃったわよ~」
涙滂沱と書かれている。鉛筆で走り書き。「沱」の字には,見えない。
草書体? 『「ワンワン泣こと」だって』
欽ちゃんらしい。「みんな,「るいぼうだ」なり。惨敗 敗戦 終了」
深読みは番組がフォロー。「すべてが今日一日で変化する 新日本の歴史の第一頁也」と。父親の著作を集めた本棚は,階段の下。実用とファッション性兼ねる。
幽霊や空飛ぶ円盤の書が見えるからUFOの研究?~好きなことに夢中になってしまう人だった,と。
レミさんは,ある日,父親から一冊本を渡された。
自伝『レミは生きている』(平野威馬雄著)
レミはアメリカで呼ばれていた名前ニックネームだった。娘のレミさんにとっても馴染みの一冊だった。高校になじめず学校をやめたいと,相談したとき,父親は,老眼のメガネを取って振り向きながら,「やめろ」とリプレイ。たった一言だけだった。
「あんな苦しいときなかったからね~」とレミさん。
「レミ,すきなことをやれ 徹底的にやれよ」
「その時は ホント うれしくて うれしくてね。」
「その代り本は読めよ」と。
この場面が感動したなあ。
2 夫和田誠さん・・・・と行くのですが,長いので,後は割愛します。バイバイ。