2年前 北京五輪 ドーピング違反発覚した ロシアのフィギュアスケーター,カミラ・ワリエワ。ロシアの選手として非難,渦中の少女が語る」

五輪閉会後4日後ウクライナ軍事侵攻(2/24) 突然の出来事だった。

国家の出来事が,個人を抹殺した? プーチンは オリンピックゴールドメダリストを呼んで表彰した。犠牲者だと。他国の誰も,信じなかったろう。国家ぐるみのドーピングだと批判した。

ドーピング審査の結果が出た。北京五輪での団体総合優勝は,取り消し,その後行われたロシア国内大会での3位も取り消された。3年に遡って成績を抹消され,その後2年間出場停止に。出られるのは19才になる,と。

国内での競争・代表に選ばれるためのスポーツの場での戦いはいずれの国でも同じらしい。ロシアや中国での熾烈な闘い。日本も同じだろう。国の代表選手になることだけでも非常に厳しい関門である。フィギュアに限らず,卓球や野球やバスケでも,マラソンでも,どんな種目でも,そう見える。個人の努力奮闘は国家の別にある。

コーチは厳しい女性 たくさんの金メダリストを出している,名コーチだ。

リンクで,大声を立てて厳しく怒鳴っている自分を振り返っているのか。

『日本の人々に”モンスター“だと見られちゃうわ』とカメラに向かって漏らしていた。スケートリンクには全国からエリート少女・少年たちが集まっている。バレエや筋トレなどスケートだけでなく,苦しいトレーニングに追われている。毎日12時間あるいはそれ以上,4,5才の幼いころから,人生を懸けている。合間に学校の勉強をしている姿(小学生か中学生か)が・・・・社会科や生物のノートを手に掲げて・・・《閉鎖的社会だというロシア体制批判に対するプロパガンダと,穿った見方も認められようが・・。

ワリエワは五輪中のドーピング批判とその後の審査期間中,国内リンクに帰って指導を受けていた。15歳で見せた金メダルの滑りはできないでいた。得点に結びつく男子でも難しい4回転半のジャンプに何度も転倒していた。15でできた演技ができない。どうしたの?周囲の誰もが皆思ったろう。最高のパフォーマンスをしてきただけなのに・・・と洩らすコーチ。まるでドーピングはクリーンであるかのような口吻。極めて自然な口調だった。貴方はできるはずよ,いつものようにスピード付けて高く跳んで,無心にスピンするだけ できるはず,・・・。練習の賜物なのだ。

華やかな本番でロシア選手の圧倒的な演技しか見てこなかった者には,練習の様子は同じストイックなモノだと分る。リンクの囲いは金属製か,錆びて見える。質素な社会主義国を見る思い。決してキレイなリンクではない。世界のトップスケーターを生み出してきたスケートリンクの実態がこれか?練習条件が圧倒的な国家支援の下で行なわれている物には見えなかった。

ただ,ロシアは長年世界のメダリストスケーターを輩出してきた。国家の威信をかけて,徹底した厳しい鍛錬体制は明らかだった。生ぬるくない,残酷と言えるほど完成度を高める練習レベル,機械でも扱うかのような,モノに徹しているか。しかし相手は幼い少女。人間的な抱擁や手当は欠かせない。

ワリエワも自分に求められた「理想」が高かったと回想している。1ヶ月で習得しなければ帰れ,と言われた中で踏ん張ってきたのだ。「絶望」とまで世界に云わせた,,ほかを寄せ付けないダントツの秀逸選手も初めはこうだったのだと知る。

17歳になる少女?を鬼コーチは,生まれ持った天才だと擁護している。リンク内では何度も大声で叱咤しているのだ。二人の関係は悪くなかった。しっかりつながっているようだ。純真でなければ全うできない。

『何でジャンプ前に停まるの?スピードを落としてはいけない。もう1回跳んで・・。』

『もう一回・・・』 何度でも挑戦させる・・・・モニターを見ながら注意を与え続けている。リンク内には1年下の後輩が4回転を難なくこなすまでに成長してきている。なんで?・・・,カメラ視線に背を向けて失意を見せまいとするかのような,ワリエワ。カメラは,幼い少女(のちメダリストになる)の方に向けられている。不甲斐ない自分,歯をかみしめて顔を反らしているのだろうか。

コーチの言葉が聞える。・・・

『体をもっと絞った方がイイ・・・・』

見るからに彼女は 肉づきが良く見えた。決して太ってはいないのだが,一緒にリンク内で滑っている,後輩たちを見ると確かに昔の締った容貌ではないかもしれないな,と思われた。スケート女王に「ぽっちゃりとした可愛い女の子」は,求められないのだろう。

モチベーションはプレイに大きく左右する。

北京大会でドーピング問題で疑われながら,15歳の最年少最脅威と見なされたスケーターは,個人戦に出場を認められ,他国の出場者たちから,公平でない,と非難が相次いだ。そんな中での演技は最悪。4回転ジャンプは失敗転倒しその後の演技も引きずって,全く落胆して生気がなかった。メダルにも届かず,涙と屈辱の滑りに終わった。その後のロシア侵攻は更に試練を与えたのだった。

それでも 個人は強い?

スケート感(ジャンプ時の)は徐々に取戻し,自分には滑ることしかない,スケートが楽しい・・・『どうしてやめないの』とか,外からの批判があるが,続けたい,つづけるほかに何も自分に道はない・・・。

 

スポーツで 頂点を極める・・・・それは若い身体 鍛錬に耐えられる 肉体があってのこと。その最高のコンディション,肉体(生物)的な条件は,一生の間に,今しかない。それは,どの国のスポーツ愛好者ひとりひとり(個人)に当てはまることだろう。

外の出来事と関係ない。ウクライナの惨劇に注目していないかも。

普段と変わらずクリスマスを祝っていた国内の様子。

愛犬と降り積もった雪の中を散歩するワリエワは1市民少女である。9センチ伸びたという少女は美しく優雅に見えた。しかし,悲哀と憂いの中にいたか。暗かった。それさえ演技だったと言えるか。子犬を抱いた娘の表情は純であったろう。

 

与えられた環境の中で精一杯やるだけ。優しそうな笑顔を努めてつくっているようだ。世界からのバッシングで傷つき,汚された,短いキャリアの少女はキレイな心の持ち主だった。≪15歳の少女が自ら違反を犯すだろうとは誰も考えないとも≫

国家に対する敵意が個人をダメにしている・・・・

 

かたや,ウクライナの スケートリンクを,直接ミサイルやロケットで攻撃・破壊した,とそこで練習していた若いウクライナ選手は ロシアに対して恨みの声を吐いている。合掌