『欲望の系譜』 サブカルチャーやポップカルチャーはためになる。

徹子の部屋も。今日のゲストは沢山いた。一つが『愛するってコワイ』の女性歌手(ザ・ピーナッツやこまどり姉妹のような二人組)は昭和43年との字幕を見て感慨を新たにしている。歌はイイね。中学校のときは歌詞カード(付録の)を見ながら歌謡曲を歌って過ごして紛らしていたっけ。趣味は何か・・・分らなかったが,今は言える。歌を歌うことが好きなことであった。・・・貴方にもその血筋が流れているかもね。

 

昭和43年。私が中学1学年ときだ。12~13歳。たしか,中二の性の目ざめの前だ。反抗期は性の自己主張。男は射精を知る。女児は早く11~12歳頃か?個体に依るだろうが,女子が男子より身体も大きく,精神も,成熟が早いのは性差ではないだろうか。恥ずかしいと言って逃げていては仕合せはないだろう。遊んだ方がいいのだ。臆病であってはいけない。女子が小学校の頃変に女だからと言って少女らしく育ってはいけない。男顔負けの女子の方が先行き,男こころが分る女らしい成人になるだろう。夫婦になるならその方が絶対よい。ということは,男子も負けられない。オトナの女性は大人の男性がふさわしい。子供のままでは好まれない。恋愛を通して成長する。男も女もお互いに。だから勝負は若いときに限るのだ。肉体的にオトナに成熟してから異性遊蕩するのは良くない。でも若いときのマチガイ,やり直せるなら,OKなのだ。裕福な大臣,地主や庄屋クラスの金持・資産家なら,放蕩遊蕩を可能にする。有名な人では,幸徳秋水,大杉栄,荒畑寒村,堺利彦,・・ちょっと偏っているかな。恐らく体制側にいた 伊藤博文や,板垣征四郎や橋本欣五郎,陸相・首相でさえ田中義一など,みんな若い時分は遊蕩していただろう。もちろん真面目な軍人もいたろう。乃木希典はその真面目さゆえに臣下をムダに戦死させている。石原莞爾はどうだったろうか。性は明るみにならない。文章の中で行間を読み取るほかない。性はくだらないだろうか?  合掌