日本のアメリカンスクールに通っていたというジュディ・オングさん。15歳のとき,日本語の教師が中村メイコさんだった。この映像の六日後に亡くなるとは!!

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中村メイコさんは見るたびに良さが分かってきます。美空ひばりさんと仲が良く長かった。同じ出自だったからだろうという。ジュディ・オングさんも美空ひばりさんと交流していた,あの名曲『魅せられて』は1979年作だった。ビブラートを覚えたのは美空ひばりさんの歌『リンゴ・・・』を真似たことからだったと言う。ジュディさんも若い時分から映画に出ている。現在テレビでは観ることはなくなったが,若い娘役が初々しかった≪後日youtubeで見られたのは最近のこと≫。舟木一夫さんの学園もの,銀幕のスターが続々と輩出し出した頃の戦後間もなく,そして10年後20年後だったろうか。ひばりさんの子役のパフォーマンスは何もない時代,生きる元気を与えてきた。長い芸能生活が中村メイコさんとの交遊を生み,ジュディ・オングさんを生んだと言える。

歯に衣着せない中村メイコさんの毒舌はむしろ信実だろう。中村メイコさんは,若手に,「言葉遣いに気をつけなさい」と言っていた。小うるさい,意地悪なお姉さんではない,本人の世間を渡る術を教えていたのだ。それを思い出しながら観賞しました。

ジュディ・オングさんにコロナ禍で家に引きこもりがち,緊張感がなくなるから,「オシャレをしなさい。一日に三回着替えなさい。」と言われたという。キレイな洋服に着替えたら,イヤリングも替えるでしょ。と当時をしのぶ。このエピソードも中村メイコさんの人となりを映す妙味でした。美空ひばりさんをキラキラした衣装をとったら,普通のかわいい子だったとも言う。ご自身もそうだったろうと思えてきた。親友を失い,「うつろになった」という。戦後を知る巨魁の喪失。ご冥福をお祈りします。合掌

「オシャレをしなさい」これは名言だろう。緊張した生き方をするか,ゆるく生きるか?面白い話題です。今読んでいる,西加奈子/著『サラバ!』の謂いとダブった。

 

ゆっくり,“ゆるく”生きる? ステイホームで,寝間着のまま着替えることもなく,出不精になっている自分。毎日の外出散歩や自転車移動も寒くなってきて益々閉じこもる。そこに喝を入れる中村メイコさんは貴重な人だ。

 

TWO WAYS生き方が二つしかない?

「なんやのこの国!」・・・大阪弁で言いまくっていたナオコは,サラリーマンと結婚し夫の赴任先のエジプトカイロで緊張した生活を送っていた。母はつよかった。一姫二太郎。女だった。家でも化粧を体の線に沿った服を身に付けていた。姉はアンネ・フランクに共鳴する宗教じみたマイノリティー重視の生き方。母と合わない。いつも対立しご飯を拒絶しげっそり痩せていた。学校でも問題行動起こして初日から帰らされている。二人の不仲を避けるように,第二子の「僕」は中庸をいく,皆に愛される術を知る,大人びた美少年。お坊ちゃん装いを強いる母親にも抵抗しないで生きてきた。自慢の子をえんじて諦観している。エジプトでの「大人びた」社会は合っていた。それは姉にも,母親にも絶好の場を与えていた。英国居留地の豪勢な邸宅エリアに住んで格差社会の後ろめたさ複雑な心境とギャングスター時代を過ごす少年期。子どもの目から見た大人社会。日本と外国の違いも・・・生きている。父の存在感がイマイチわからない。どうしてイランテヘランに暮らしているのか。生活の環境条件が不明。人間と社会あるいは職業とか身分地位などは関係ないだろうか。「エジプシャン」,「エジっ子」や「彼ら」(学校に行けないストリートチルドレン;物乞いは子どもたちだけでなく,おばさんたちも便所の前で喜捨を求める)など経済観念なしに語れない。その根拠を示さないのはどうしてだろうか。商社ではないらしい。エジプトやモロッコ,ケニアに派遣される業者な何だろう。考えられるのはゼニコンだろうか。日本が高度成長を果たす原動力の一つは建設ラッシュだろう。国土開発。道路を整備し,土地に建築物を造っていく。ライフラインから都市造成は始まるだろう。土建業は社会の土台だろう。豊かな日本の象徴的な前進向上の賛歌高唱。

戦後は何もなかった焼野原。復興は歌から,映画や力道山などの見世物興業。人は生き,恋をし家庭を築き子を増やす。成長の筋道・・・。ゆったり,ゆるく生きるのは合わないのかも。緊張した性を満喫謳歌するのが若々しい。魅力的な女。逞しい男性。エジプトはすべてが大きかった。外界から見るニッポン。「なんや,このくに!」となる次第。でもそういう評は決して遠い批判ではない。通常の表現に見られるからコワイ。

たとえば天気予報。雨がふるかもしれませんので「折りたたみ傘を持って」と余計なお世話をする。なんで貴女に言われなきゃいけないの?と憤慨したりしてきた。優しさ余って余計なお世話。売店の贅沢ぶりはそれを証する。スーパーの切り売りや綺麗に包んだトレー。元の姿が分らない食の素。自然から遠ざかって命の源を忘れさせている。便宜が先行して当たり前になると感覚がオカシクなる。「ネギのパック」やレトルトの矢印:「ここから開けられます」・・。電車の遅れを謝っているアナウンス。1分遅れを。次々と来る電車。便利極まりない日本の電車山手線京浜急行線・中央線総武線は便利すぎて,アホになる。数十年前に完成していた都会版図。地下鉄路線が6重層。渋谷の大改造が示している。地方へと拡大中か?この便利道・電車路線。

「傘のお忘れ物にご注意ください。」何べん聞いたことだろう。当り前になって疑問にもならなかった。「ありがと」よ,と車のナビに答える老人かな。それさえもう古い時代に突入している。ステアリングを少し謝って道のコース(白線)を超えると,「誤っていますよ」と警告音を放つ中古車までが。ハンドルを操作しないでただ座っているだけの新車かな。目隠ししても運転が自在になるか,自動運転。自分の五感を使わずに済む。楽ちんだね。快適を追及するAI時代。他方で,同時に,本来の生命力はどんどん退化する。感動は感動を薄めていく。それを教えてくれもする著作。

 

祖母はユルイ人だった。姉も母も,僕も祖母の家に逃避する。和らぐのだ。誰彼なく開かれた祖母の家。人の出入りが多い。懐かしい家・・・。ありがとう。合掌。