親子 ジェネレーションギャップ 世代間格差 貧富の格差

全てがめぐりめく・・・・徹子の部屋

・・・今日,昨日・・・。

勘九郎さんの御子息たち,なんと可愛いんでしょ。次男は写真がいつもこんな顔しか見せないので取ってないんです。まるで『サラバ!』の「圷貴子」ではないか。否,それほど「怒りんぼ」ではない,反抗するどころか,お兄ちゃんと一緒に遊び,芸を高め,夫婦喧嘩に割って入って,大人顔負けの両成敗,人生訓示するのだ。いつも変顔で映る次男坊は,実はイカした小学4年生。次世代の新人なのだろう。下劣に見えて品位あり。

親である勘九郎さん自身が高校時髪を色々と染めて暴れて?父親を嗤わせていた。あれが反抗期だったかと振り返っている。あれがあったればこその今の優しいお父さんあり・・。お父さんの勘三郎さんを超えているかに見えます。ご家庭も世代を越えて優しくなっている?

 

子どもだった自分は親を想ったものだ。今は子を想って親の立場がわかる。

ジェネレーションギャップgeneration gapは大学の作文の課題だった。1975年昭和50年~3学年遅れの入学 浮いていたなあ。真面目だったが学生として真面目だったとはいえない・・半端な大学4年間。まるで初めて遊んだ小学校のよう。もっと羽目を外して遊んだらよかったのに・・と現在回顧する。

 

徹子さんは,なぜ歌舞伎が好きなのか? なぜ亜希さんが呼ばれるか? 

「テレビは面白くない,・・」と,今年4月に93になる,寝たきりになりつつある祖母の弁が良くワカル。ゲンキンな映像はツマラナイのだ。

なぜ勘九郎さんや勘三郎さんがお好きなのか。高尚なのは出自のせいかなあ・・疑問だった。が,今日こそ分かった。

品位だ。下劣でないこと。自分が下劣だとそれが分らない。やっと今ごろわかったような気がする。人間には高尚なところがなくてはならない。え? 下劣なのが人生だろうが,それではツマラナイ。生きる意味がない,生きがいがない??? 

 

「亜希」さん,55歳でバイオリンを習い出し披露した。音程が狂っていて・・聞き苦しい。見るに耐えなかった。あえて言います。「へたくそ」でした。

本当のことを,どうして言わない?「王様は裸」ですぞ。人のイイ徹子さん。そうは言わずに「ヴァイオリンは難しんですよ。ピアノと違って・・」とフォロー。

「それでも上手になったら今度見せてください」といい添えた。なるほど。やさしいお母さんのような笑顔で見てくださっていると,本人も知っておられるのだ。へたくそだと分っていても恥をさらしても構わない・・これこそ。いわゆる「品位」ある,高尚なマダムではないのだ。≪事実上,豪勢な生活ではあるが…》人に歴史あり。親思いの情け深いお人なのだ。新人への進化。世代格差は世代の移り変わり・・・それを垣間見た気がする。

離婚して旦那の事を「元夫」の清原~その息子が慶応高校,甲子園出場して優勝。華々しい一家。鼻に付く・・フン。と最初は思ってみていたが,実は分っていなかった。彼女はどこかまだ読み始めた西加奈子著『サラバ!』の圷夫人に見えてきた。どんな女性。キレイなスタイルのいい,小学校の父兄会にもタイトなスカートをはき,声をかけられたら笑顔で返す,写真撮りましょうかと言われてスマイル。決して「私,取りましょう!」とは決して言わない,いつもお姫様なような,身長180cmを超すナイスな夫は,ある晩?自宅で妻の料理に難色を少し示す。西洋料理,別な種の料理を求めると,妻は並べたディッシュを全部食卓から取り去って,ゴミ箱に捨ててしまう。代わりに冷蔵庫からありあわせの日本的な?出来立てのモノを並べる。白飯を一人喰う。ピリピリ感が漂う家族の団らんは子供にとって嫌な時間空間だったはず。主人公の二人目の男児はよく観ている。・・・プライドの高い女であり,妻・母親なのだ。娘と張り合う ハイヒールは似合わんだろう。美意識が高い。小さくなっている夫は勘九郎さんに見えてくる。歩君は歌舞伎役者の次男坊か。

夫は時代とともに優しくなっていく,ステキな男性群だ。それでも女性を非難できない。自分に素直に一生懸命に生きている,その姿が素晴らしい。(二人の子供,上が大学生・下が慶応高校)を育て上げ,やっと自由になった年代,きづけば五十代なのだ。超有名人の妻になった美人をお金持ちだとか,成り上がりだと言うでない。

お金は天下のまわりもの。才能が有れば付いてくる。吝な性がどうしても理解を阻んでいる。

あゝお金があったらなあ。特別介護老人ホームを検討できるのだが・・ホームにも入れない。入選待ち。・・有料老人ホーム?夢また夢か?!!これを読んだときユーウツになった。すべてが金しだい。おカネ社会 脱皮するにはどうする?

『有料老人ホームを選ぶ生き方』(伊沢次男著)

テンで話にならない。何でこんな本を出した? 副題にある「ホームで暮らせば介護の不安なし」。そうでしょう。

しかし,条件がある。今日ホームに入ることができるか。公的施設は芳しくないようだ。狭い一間に二人から数人住まい。おナラもできまいという。なるほど。著者は余裕だ。どんどん自分の希望を上げていく。夢のような空間が広がっていく。著者の言うような条件はどこの話だろうか。著者は云う,おカネがあれば・・と。

著者はそれだけの収入があるのだろう。高価だと言っていた,一番お気に入りの○○市を選んでいる。私は,ちょうどその市を訪れてきたところだったので,変な縁を感じている。自動車で高速を3時間余り。引っ越し手伝いで止む無く訪れた。小生若い時分自立していた。自分でトラックをレンタルして何度田舎と東京を往復したことか。情けない親子世代のギャップ。

一日12時間余り,一緒に飯を食うでなくも過ぎた。オニギリ一個で結局老体のオシッコに気をつけながら,どうにか無事深夜一時過ぎに帰宅。命からがらだった。そんなことはもうできまい。と思いつつ,何回かつきあっている,この1,2年。停年退職後ずっとだ。自分が選んだ道。

古希の世代になって下半身は不自由になっている。前立腺○○というやつだ。

自分で世話ができなくなる歳がやってくる・・・ 家で家族の者にお尻の世話までしてもらえる環境・・これ以上の仕合せはないだろう。自立とは?  合掌