「余録・consolidation」 ~ 生田長江 > 漱石 ~

私は本を読まなかった。

中学校2年生,国語の授業時間に,立って読まされたことがある。教科書で・・「藤村」・・・ふだん見かけている字だった。

大きな声で「フジムラ」と読んだ。すると,皆が大笑いした。恥ずかしかった。決して忘れない授業の一コマだ。「なぜ笑うの?」気が動顚し,顔は紅潮していたろう。

担任の先生は,故人となっているが,当時学校では,おっかない先生であった。遅刻生徒があると,校庭に並ばせ,一人ずつビンタをしていった。我々は二階や三階から見ていた。見せしめだ。教育委員会を擁する教育庁行政がうるさくなかった時代だ。明治大正じゃあるまいし,昭和「戦前」の話でもない。戦後20年,昭和40年頃だ。当時新幹線が通り,東京オリンピック・・高度経済成長時代。テレビが普及していた。テレビっ子の魁(さきがけ)だった。

おっかない先生の授業でも,他の生徒が大笑いしたのは,テレビが皆の家に普及していたからだろう。当時「フジムラ・アリヒロ」というテレビタレント(いまなら,お笑い芸人だろうか)が,ブラウン管の画面を賑わせていた。

「島崎藤村」など頭に入っていなかった。数年後『破戒』を読んだ記憶があるが,内容は覚えていない。千曲川に足を運んでもいた。が,文学書は読んでいない。その詩情を全く分っていない。入試で仕方なく,なぞった程度なのだ。読んでなくても書名くらいは・・・田山花袋の『蒲団』とか,・・・自然主義とか。樋口一葉の『たけくらべ』・・・最近,そんな古い時代の書物など読めたものではないことが解った。

 そうして 最初に 遭遇したのが,漱石。あまりにも有名。『吾輩は猫である』が最初。学生時代か,受験時代か,ハマって,その後,大方読破したと思っている。ただ全部忘却の彼方にある。

 

やはり好きだと思われた「武者小路実篤」が,実は「貴族主義」だと批判を見て複雑。そして,「すると,漱石も,やはり貴族主義か」と。貴族趣味・アリストクラシー。

 

夏目漱石は,なぜ,好かれるのか?

教科書に出ている著名人だから?! 特に理由はない?・・・これで,なんとも思っていない・・・それは問題だ。自問される。「自分は旧い思想ではない」と自負していた。しかしどうだ,現実は?

思考思潮が与えられ,知らずしらず身に着けられている。意識的か,無意識か,わからないが,マインドコントロールされていたことになる。物事の一面しか見ないで固定観念になる。恐い話だ。

明治時代から大正時代。昭和にも長く影響した漱石が活躍していた時代に,「生田長江」がいたことさえ知らない。なんと皮相的な勉強・学習だったろう。それでいい見本になれたはずはない。子供への後継が因習にとらわれたままになるのは必至だろう。

問題意識を持たない。自由な発想がない。なぜ,こうなるのだろう。

 

「勉強」「学習」「受験」の結果がこれだ。

疑問に思わない。時間はあった。慎重に検討できたはず。

21世紀は,創造の時代だという。Be creative. クリエイティブ?

長く思っていた。「ソリューション」「ケミストリー」「トランスフュージョン」「レジリエンス」新時代の必要な要素・・・好きな歴史 温故知新 遡ること・・昭和 大正 明治 江戸・・・はじまりは? 司馬さんの幕末 日本の近代化。・・・その結果が漱石への疑問。

瀬戸内晴美・寂聴さんは,沢山遭遇しました。でも,瀬戸内さんの目を通した観方となる。多面的に観る必要あり。今大庭みな子・利雄氏の介護日記を読みながら,多面的に観ないとダメだとわかる。真実は,なかなか分からない。「私は,天邪鬼(あまのじゃく)だから・・。」と言った昔の同僚を思い出す。ありがとうございます。合掌