のぞみ5歳 ~手さぐりの子育て日記~

皆さんは,全盲のカップルが周りの反対を押し切って健常者の如く子供を産み育てている放送番組を覚えていますか。

ドキュメンタリー映像「のぞみ5歳~手さぐりの子育て日記」です。

何年かぶりに再び観たのですが,感動を新たにしています。当時も感動したはずですが,忘れているのです。今また涙で新たな思いを抱いています。

 

2017年3月12日NHK放送。『テレビが伝えた知られざる世界 N特放送40年(3) 人間編』より。2016年放送「人間ドキュンメント編」のアンコール。

 

皆の感動を呼ぶのは,愛児のぞみちゃんと,母親の玲子さんを通して見るいろいろな場面でしょう。最初の映像はその玲子さんと一歳になったのぞみちゃんとの生活場面から始まっています。

 

私が,今回感動したのは,録画映像を見始めて43分あたりです。

 

石川県門前町 皆月(みなづき) 山王まつり 

澗潟(まかた)玲子さん(32)の夫,繁男(しげお)さんの故郷の映像が流れている。

<主役はどうもれいこさんとその子,のぞみちゃんのようだが,「まかた」という姓は繁男さん。玲子さんの姓は橋本ですから。脇役に見える繁男さんのエピソードが興味深い。

ナレーションが入る:

「12歳で金沢の盲学校に入って間もなく,校庭で木登りをして遊んでいた時に

『危ないから降りなさい』と叱られたことを忘れることができません。」

繁男さんは反発を感じ,

『人は,目が不自由だから自分のことを障害者だと言うけれど自分は障害を少しも感じないから障害者だと思わない』と話す。

『故郷でやっていたことがなぜ盲学校ではできないのか。』といぶかる。

 

私は,「ハッ」とした。なんだ これは? どういうことだ?

数年前初めて見たときは思わなかったことだ。

そうして知らずしらず分析している

「危ないからと止めた行為が愚かだなあ,とか,

良く考えると,止めに入った先生の行為は健常者として自然な行為でもあるなあ,とか・・・

だが,目の見えない本人は木登りできない障害を感じていないのだ・・・健常者の心配と,障害者の意識との間にギャップ・・・」

唖然とした。それって,何だろう?

「健常者は,障害者だと決めつけて行動を制限しようとうするのが当たり前になっているのではないか,それは大変おかしなことだ」

「知らずしらずにいわゆる障害を持つ人に対して,危ないからとか,できないだろうから,とか,勝手に決めつけて弱者扱い,

可哀想だという優性意識が働く? 不自由に同情し,援助や保護をしてやろうという・・そういう意識は,相手を辱めたり,隔りや格差をつくったりしてしまうのでは?」

 

感動場面は沢山ある。今回感じた,もう一つの感動は・・・

澗潟(まかた)玲子さん(32)は,18歳の時に光を失った。両親の反対を押し切り愛する繁男さんのところに来てからもう6年になろうとしている。そしてカワイイ子供を連れて里(愛知県)帰り。父親との仲直りでもある。橋本家の墓参りも・・・・ お父さんの涙も家族の見守りも・・愛でいっぱいです。

 

<玲子さんはそのつど喜びや嬉しい経験を広げている。今が一番シアワセを感じる瞬間瞬間を紡いでいるのだと,気づかせてくれる>

二人が新しい家庭を築くために移り住んだ町 港町 石川県金沢市金石(かないわ)が映される。

5年前の冬,二人はこの町でマッサージ治療院を開いた。のぞみちゃんを生み育てた。<子供が生まれる前の原点に返るのだ!>

今では両親をやり込めるほどおしゃまになっていた。縄跳びはクラスで一番だと言っては二人を喜ばせている。健康で明るく思いやりのある子に育ってほしい,それが両親の願い。

 

石川県生まれの繁男(しげお)さんと,玲子さんが知り会ったのは昭和54年の秋。岐阜市で行われた盲人同士の集団見合い。二人は家族の不安を押し切って10月1日結婚。まもなく妊娠 昭和56年8月9日 のぞみ誕生

「心配といったことは全然なくってね うれしくって・・」と玲子さん。

  昭和57年8月 1歳 ドキュメンタリーはここから始っている。

夫婦の笑顔に包まれて健やかに育っていた。子育ては,「ことばと,指と,そして匂いの感覚が全て」という。

「子育ての苦労は?」と記者の問いに,玲子さんは,

「よろこびの方が大きくて苦労など感じません。苦労しているとしたらのぞみのほうかもしれない。」と答えている。

ハイハイするのぞみちゃんの映像はカワイイ。子どもを負(お)んぶして買い物に,そして台所で料理する玲子さんはどこにでもいるようなお母さんである。

繁男さんは,『ぼくと家内は明かりが見えないから,どうして子どもが泣いているのか分からない』という経験を語る。あやしても泣き止まない。なんとなしに電気(照明)を点けたら泣き止んだ。

ああ,この子は目が見えるんだっけ。うちの家庭にも見える人が増えたなあ・・・

『うれしかったですね 電気を必要となったという,その感覚が。

二人が目が見えないだけにその感動は強かったですね』

と,感慨深げに回想している。

昭和58年2月のぞみ1歳6か月 自由に歩けるようになったのぞみちゃんに二つの事故が起きた。

 タバコを食べてしまったこと。ソファーから落ちて口の中を切り顔中を血だらけにしたこと。のぞみちゃんはただ泣いているだけ。

両親には何が起きたのかまったくわかりません。

そのときから二人はのぞみちゃんに言葉を教えようと必死になり,のぞみちゃんもそれに答えました。

モノを指すときには,「これ」「それ」というのではなく,両親の手を取り指差すようになった。<スキンシップが絶えなかった親子映像が思い出される。>

肝心なのはココ↓です

玲子さんは,失明した自分が好きだと言う。

人の痛みが分かるようになったと言うのです。

 

映像は,両親がピアノを弾いている 子供が大きな声で唄う。♪♪いつのことでしょ 思い出してごらん あんなこと こんなことあったでしょう♫♫♪(『一年生』の唄)親も一緒に唄う。伴奏しながら声を合わせている。なんと美しい光景だろう!

 

盲学校を卒業すると玲子さんの両親はマッサージ治療院を建ててくれました。

しかし敢えて困難な道を選び繁男さんの住む金沢へ,家を飛び出してしまった玲子さん。

 

「いまが 一蕃しあわせ です。」

それは困難を乗り越えているからこそ幸福を味わえるのでしょうか。

のぞみちゃんの幼稚園入園シーンが映し出される。キレイに着飾った親御さん,ほとんどがお母さんたち。のぞみちゃんのお母さんもキレイな出で立ちです。泣き叫ぶのぞみちゃん。お母さんは辛抱して座席につかせている。周りの園児や親御さんの眼は好奇の眼であり,同情する眼にも取れます。障害者に対する目はやはり特別ではないでしょうか。それでものぞみちゃんはうまく友だちもつくって成長しているのが家庭での活躍,お母さんの手となり足となって先導してお手伝いしている姿に髣髴として見えます。

 

場面は最後のコワーいシーンに移ります。自分の経験ともダブって見えます。

「イジワルしたらいかん」と,お父さんが子供を叱りつける,修羅場が最後に出てくる。カワイそうで,見ていられない。涙がとめどなく流れてしまう。必死にこらえているのぞみちゃん,ついに悔しく悲してつい,お父さんを少し手で押すシーン。それを無理やり抱きかかえて・・・大声で・・・お母さんは止めない。お父さんが好きなんだもの,愛しているんだもの・・・と辛抱している。鬼になっても愛児を正しく健康に育てようという強い精神。それを支える妻。理解はまた深くなる家族なのです。

お母さんは思い返して言っている。

「完全に見えることの素晴らしさを 子供を通して 初めて知った」と。子供を通して世界を理解できる喜びに浸って,ますます幸福を感じている。

 

お父さんは 自分がしてきたように 自由に外で遊ばせてやりたい気持ちから色々な所に出かける。身障者の障害を感じてはいない。伸び伸びと明るく育つのぞみちゃん5歳。両親に似て活発な子に・・・。

 

<今ののぞみちゃんもう41歳になるのかな。>

 

そうして一夜過ぎて 再び思い返してみると・・・

父・しげおさんの 強靭さ

母・れいこさんの 母性や人間らしさ

光っている二人を回想できる感動 さらに新た  に 感謝です。