三英傑の信長・秀吉・家康に信頼され,恐れられたという 黒田官兵衛
なぜ片足を引きずっていたか。書物を読んだことを思い出す。仲間が伝えていた。監獄に入れられて片足不自由になったと知れた。いったんは命をなげうっているのだろう。切支丹でもあるかな。秀吉に進言など本当かな。英雄を支えた陰の力持ちではないか。たくさんの部下に支えられて生きているのか。犠牲者も多かったろうに。
1546年天文15年 兵庫・姫路生れ 小寺氏家老の長男だと字幕。【偉人の年収】母親は和歌や本を読む女性だった。少年は木刀を振って武術に励む元気な子。人の心がわかる人になってほしいと母の願いが。病臥の母はやつれて横たわっている。「母上~~~(泣)」官兵衛14歳だった。14歳はいずこも同じ。青春期の境なのだ。中二の時期こそ命(要諦)なのだ。これより心入れ替え,物語を読み,和歌をつくるようになる。17歳になると修行先の僧侶から叱咤される。兵法書を読んで戦の仕方を学べ!! 今は戦国の世。僧兵が増えていた時代だな。家老になったのが22歳。毛利氏と織田軍が・挟まれる小寺氏家老。官兵衛は織田信長の天下だとよんで意見申告。情報処理が的確だったという。信長が築いた岐阜城に自ら赴き,「秀吉を連れていけ」と官兵衛は命じられたことに感激している。偉大な武将と憧れる信長様に認められて・・熱誠こそ活動の源か。この時捕まって入牢か。片足を膿んで壊死か。自力では歩けなかったところを仲間の兵士に救い出されている。有能な人は人望も厚いのかも。運さえ好転させる〔結果論です。多くが戦死するところでしょうから〕。播磨は秀吉の支配下に《織田信長の配下の秀吉軍参謀になる。フロイスの述べる「殿の殿」関係,a lord of another greater lord? この仕組みは外国人には分かりにくいかも,私も知らないが戦国武将の勢力版図かな。封建時代?欧州では皇帝や王様同士には上下支配関係はなかったのだろうか 日本の特異性だろうか》
高松城の水攻め・・・高松ってどこ?四国・香川かと勘違いしていた。岡山県北西部にあったようだ。石川県にも同じ高松があると記される。全国にあるのかも。中国大返しも少し見えてくる。≪番組もそうだった。一日80キロ,姫路城まで引き返しているという。その時武器は持たせないでだったかな。それでも長征だろう。それをさせる時の秀吉の声掛けのヒントを与えたか?・…あれ時間がない。本を読まなきゃ…番組録画鑑賞途中だが,措かなくては bye now》