- アイ・ヴィー・シー
- 市民ケーン
101GreatestScreenplaysにて第4位と言う理由で見てみた。
白黒で古~~い。
音がわる~い。
ちなみに、TSUTAYAにVHSしかなかったので久々にビデオを借りてみることに。
というわけで、音質・画質が悪いせいか、入り込むのにちょっと抵抗感が・・・
これって実話???
自分が小さい頃に誉められなかったから、人を誉めることができない、誉め方が分からない、
それと同じように、
小さな頃に愛されなかった人は、人を愛すことができない、愛し方が分からない、
のではないだろうかと思った。
じゃあ、
憎まれてこなかった人は、憎み方が分からないのだろうか、
怒られてこなかった人は、怒り方が分からないのだろうか、
そんなことはない気がする。。。
感情の表出については、
性向として発露していくものと、
制御されて抑えられていくものがある。
誰かを憎む、怒る、という感情は、自己顕示や欲求不満といった1人称の感情であり、動物的生存欲求の発動に伴い、自然に表出するものとカテゴライズできる。
一方、誉める、、、つまりは敬意を抱く、尊敬をすることや、愛すると言ったことは、自分以外の誰かの存在を認める、2人称の感情であり、社会的生存欲求にその源泉を求めることとなる。
これは、動物的な感情と異なり、教育、学習という家庭を経なければ習得できない感情発露なのではなかろうか。
そしてこの、社会的生存欲求に基づく感情の発露の過程では、動物的生存欲求に発する感情は抑制されているのではないだろうか。
そこにこれら、1人称の感情と、2人称の感情の大きな差異があると考えられる。
従って、怒られなくたって怒れるし、憎まれなくたって憎まれるし、
誉められてこなかったら誉められない、
愛されてこなかったら愛せない、
そういうこととなる。
いやぁ、ほんとかどうかは知りませんけど。