- 野村 克也
- 野村ノート
野球選手なら誰でも一度は読んでみたい「野村ノート」、ついつい衝動買いをして読んでみた。
「選手時代に悩んだり苦労していない、創意工夫していない、頭を使わずにプレーしてきた、そういった選手はコーチをやってもろくな指導ができない」
必要条件らしい。
「諸葛孔明が子孫のために残した家訓の中に次のような一説がある。
優れた人は静かに身を修め徳を養う。
無欲でなければ、志は立たず、
穏やかでなければ道は遠い。
学問は静から、才能は学から生まれる。
学ぶことで才能は開花する。
志がなければ学問の完成は無い。」
正直、
よく意味が分からない。
「人間には自分の思うようにならないことがふたつあるという。
ひとつは「人間はひとりでは生きていけない」ということ。
もうひとつは「自分の思うようになることはほとんどない」ということだ。
自分の思うようにしたい。ところが現実はなかなか思うようにならない。そこに理想と現実のギャップが出てくるわけだが、だからこそ努力が必要である。自分の思うようにするために努力していく。その先にあるのが理想であり、夢であり、希望であり、願望である。」
本当にそう思う。
自分の思うようになることはほとんどない。
努力で埋められないことが実はほとんどなかったりするわけだけど、それは言っても始まらない。
努力で埋められることを埋めていく、
それが人生か。
「監督と選手の要求とは常に相反するものである。
たとえば監督の要求とは、
①自主性を持って欲しい(これがなくなるとチームは必ず滅びる)。
②何のための試合なのか、その目的、目標を明確にもってほしい。
③監督が何をしてほしがっているか知ってほしい。
④野球が仕事なのか、それとも勝つことが仕事なのか、自覚してほしい(もちろん後者が正解である。)
⑤ファンが何を要求し、何に感動するのか考えてもらいたい。
一方、選手側の要求とは、
①自分の能力を評価してほしい。
②自分に何を期待しているか教えてほしい。
③結果がだめだったとき、その過程を知ってほしい。
④ライバルに比べて自分の評価が低いのはなぜか教えてほしい。
⑤自分がいった意見に対し、よいか悪いか、悪いのであれば、何がどう不十分なのか教えてほしい。
監督がチーム優先で考えているのに対し、選手はあくまでも個人主義である。
ところが選手というのは、自分の存在価値を知ってくれる人がいれば、「この人のために死んでも構わない」と思えてしまうから不思議だ。「士は己を知るもののために死す」という言葉があるが、リーダーのためという思いから、「チーム優先」に変われるのである。」
必ずしもこうとは思わないが、なるほどな部分は多い。
この本を読んで、僕がホッケー部のコーチをするにあたり、色々と参考にして~~~という下りはあまりないが、色んな選手が実名で登場し、コメントされているところとかはかなり面白く読めるし、今年から野村が監督を務める楽天の試合をちょっと楽しく観られるようになりそう。
ただ、野村の「古田から年賀状もお歳暮も来ない」という愚痴は、まあなんかおもろかった。