我が家は夫の死後2年近く

遺影をダイニングの夫の場所近くの小さな棚に祀っていました。

 

仏壇は夫の考えのもと、備えませんでした。

 

夫は両親がなくなった後、

実家を売って兄弟で売ったお金を分けると言っていました。

 

長男なので実家が無くなったら

我が家に仏壇を引き取ろうと言ったのですが、

魂を抜いて仏壇は処分すると言っていました。

結局妹が実家を引き継いだので今も実家にありますが。

そういうふうに言っていたので我が家に仏壇は備えませんでした。

 

夫婦二人とも宗教嫌いだし。

同居の長男は未だに独身で跡継ぎは出来そうにないし、

次男は東京でマンション住まいだし。

まあ、仏壇なくてもいいかな?と。

 

間もなく3回忌になります。

法要は行いません。

 

で、ダイニングの写真を大きな遺影ではなく

小さな写真に変えることにしました。

 

遺影はマスクを耳に掛けた写真から

マスクを外して顔のシミを目立たなくして気に入ったものだったので、

今日葬儀場に行って小さい写真立てに収まるものを作ってもらいました。

 

小さくなって少し淋しくなりましたが、

夫のいない毎日を過ごすためにはこのほうがいいかなと思います。

 

2年近く経って、まだ騙されているような感覚はあります。

だけど、朝起きたときの絶望感は少しましになったかな?

 

愛憎交々の年寄夫婦でもこんなだから、

若くして夫を急に亡くされた

愛し愛されて過ごされていた人たちの心はつらいだろうと、

2年ポッチリでは慣れはしないだろうと察します。

 

だけど私のような年寄は

どこかで切っていかないとって思います。

自分の命を終えるまでに自分の始末をつけようと思っています。

 

 

 

去年強剪定をしたイチジクの木の芽が出てきました。

これも息子たちは食べないので

私の体の動きが悪くなったら根本から切ってしまおうと思っています。

 

今日も暑く、北側玄関先の温度計は30度になっていました。

まだ4月なのに、びっくりです。