一昨日の記事の続きです
では、刀じたいをみていきましょう。
この刀は「葵美術」という日本刀販売のお店でネットオークションにかけられていたものです。
※ HP画像より
そしてオークション終了前日に、この情報を下さいました権先生と共に見に行って参りました。
慶應 〇八月 是一鍛
先日ご紹介のように、幕末に活躍した刀工・是一の作。
通常であれば「慶應二年八月日」のように年紀を切るのですが
目釘穴によって一字が見えなくなっています。
ただ、穴の横にわずかに「-」が刻んであることから、権先生は
「慶應丑八月」ではないだろうか、と推測しています。
だとすれば「元年」になりますね。
小笠原胖之助淬之
「淬」は「にらぐ」、つまり刀に「焼きを入れる」という意味です。
通常焼きを入れるのは、もちろん刀工の仕事。
ですが、胖之助は身分ある立場。
その子が頼んで是一に教えてもらいながら、焼きを入れたものと思われます。
是一は短刀の制作は極めて稀で、本作のごとく彫りを入れるのは見たことがない、とのこと。
その彫りが、「福禄寿」と「杖」。
これよく見ると、彫りが波紋にかかっています。
つまり彫ってから波紋を入れている「生(うぶ)の彫り」。
「福禄寿」と「杖」は、長寿を願っての事。
胖之助は自分の為ではなく、誰かの為に、「こういう短刀を作りたい」と注文し、自ら焼き入れをさせてもらった。
とても思い入れの深い刀なのではないでしょうか。
そしてこの短刀には鍔が付いていません。
肌身離さず、懐に入れておけるように。
自らの命を守って、長寿を全うできるように。
そんな想いを込めて、教えを請いながら焼きを入れていた14歳頃の胖之助の姿が、目に浮かぶようでした。
先日の記事でも書いたように、彼は10歳の時に父を亡くしています。
もしかしたら長行さんに贈ったのかもしれませんね。
黒呂色鞘に、目貫は赤銅地に侍が戦う図柄を高彫し金で色絵をほどこしております。
もし慶應元年の作であれば、それからわずか3年余りで戦死してしまった三好胖こと小笠原胖之助。
この刀を実際に手にした時、なんとも言えない気持ちになりました。
ちなみにオークションは45万円からスタートし、見に行った日の翌日午前中、77万1千円でどなたかの手に落ちました。
いつかどこかで、この刀と再会できたら嬉しいなと思います。
2021年昭和の日 汐海 珠里