立春・旧正月も過ぎたので…
と、毎年飾るのが遅くなってしまうひな人形を、今年は早めに飾ってみました
ひなあられを買ってこなきゃ
さて、元興シリーズの6弾
先日ご紹介の「康継」の裁断銘の日付と、三振りの「元興」の裁断銘が、微妙にリンクしていることはおわかりかと思います。
この佐藤家の「康継」、1回目の伝馬町における試し斬りの日に
2振りの「元興」を吉豊さんか斬っている。
(黄色になってる部分が、下の元興と一緒)
そしてこのシリーズ冒頭でご紹介した、今現在販売中の「元興」は
まさに「康継」の二回目の試し切りと、まったく一緒。
(購入希望の方はお知らせください
あ、決して刀屋さんの廻し者ではありませんよ)
太々土壇払同年十一月廿三日於
千住驛 山田吉豊試之
これね、ふと思ったのですが
安政6年6月11日 伝馬町
同年11月23日 千住
この両日の「様斬(ためしぎり)」は、会津藩がセッティングしたものではないでしょうか。
つまり、何かの理由で古の名刀「康継」を所有していた容保公が、それを「様斬」するために山田家に依頼してその場を設けた。
その中に数振りの会津藩お抱え鍛治・元興さんの新身(新たに鍛えた刀)があった。
たぶんね、私の刀は元興さんが自分の銘を切るより先に試し斬りしていると思うの。
吉豊さんと後藤さんが斬っているものだから、年紀を切るスペースなくなってる
前回の記事で、「康継」ははじめから別の日に様斬するつもりだったのではないか、と書きました。
それは裁断銘が綺麗に一列づつ切られているから。
もともと2回の予定がなかったら、1回目の時に2列に分けて切るんじゃないのかな。
もしかしたら2回様斬してから、2回分の裁断銘を切ったのかもしれないですね。
そして権先生のお見立てでは、この「元興」と「康継」は同じ人が裁断銘を切っているのではないか、との事。
つまり元興さんが、「康継」の裁断銘を切っている
ただ当時は分業制で裁断銘は専任の鏨(たがね)師が入れる場合もある、との事だけど
でも権先生が再度確認して下さった結果、「元興」の刀工銘、年紀、裁断銘、全部同一人物が切っているようだ、との事。
ならば「康継」の裁断銘も、元興さんが切ったという事でしょう。
とても深い縁ですよね。
そしてやはり「康継」は、会津藩が所有していたものなのですね。
「康継」は会津の人ではありませんから、もしかしたら代々の会津藩主が徳川家から頂いた御刀だったかもしれませんよ
もしそうだったら、凄いですよね。
それを何で歳様が持っていたのかしら。
それを考えた時、どうしても私は、鳥羽伏見の戦いのあと江戸の会津藩邸で容保公が勇さんへ手渡したのではないかと、思ってしまうのですよねぇ
そして甲州での戦いの後、勇さんが歳様に渡し、それを歳様が源之助君へと彦五郎さんに渡した。
まぁ、この辺りは「想像」するしかないのですけれどもね。
以前も少し書いたことがありますが、権先生は「池田屋事件」のあとに、容保公が歳様にあげたのではないかとも推測なさっております。
それはどうしてかといいますと、これら数振りの「元興」が、どうやら「池田屋事件」に大きく関わっているようにも思えるからなのです。
え? どうして?
と思われた方、それは次回に
2021年2月21日 汐海 珠里