昨日の続きです
皆さま、ちょうど4年前に「新選組刀剣会」が品川で行われ
そのレポをしたことを思えておられるでしょうか。
この時に、三善長道とともに近藤勇刀としてその場にあったもの。
祐芳じたいについては、昨日の新聞記事にもありましたように
徳島県阿南市羽ノ浦明見の刀匠。
また新聞でコメントをしていた坂本氏が、「維新の道」にこう書いておられます。
明治天皇は、慶応四年、即位礼を上げるや、王政復古の御奉告と奥州平定の御祈願のため、全国諸刀工の中から十名の刀工を選び、伊勢神宮への奉納刀の作刀を命じられた。祐芳も受命刀工の一人として一振の奉納刀を鍛えている。(中略)この刀は平成十九年の「神宮の刀第四回御奉納刀 ―聖上の御心を拝してー」で初公開され斬界の反響を呼んだ。
(「維新の道no.162 吉川祐芳(坂本憲一著)」より)
この祐芳がどういった経路で勇さんの手元にきたのかは不明。
新選組は会津藩の御預ですし、勇さん自身も慶応3年に「三善長道」を注文しているようなことからも、会津刀との縁が深いと思います。
「金銀出入帳」に書かれたり、土方愛刀としても有名な秀國(元興)も、会津刀ですし。
ただ新選組局長ともなると、色々な刀を持っていたり貰ったりもしていたかもしれないですよね。
現・霊山歴史館にある「近藤勇所持刀」の祐芳は、慶応元年に鍛えられた刀
その頃は新選組も、飛ぶ鳥を落とす勢い
頂き物も多いかも
※ 写真はお借りしています。
この刀は、勇さんの首級と共に会津に運ばれたもの
との松江豊寿さんの鞘に貼られた添え書きがあります。
傳来 近藤所持阿州吉川六郎源祐芳 幕臣新選組隊長近藤勇捕イラレ
斬首ノ上獄門トナル一夜下僕首ヲ盗ミ生前ノ愛刀ナリシ此ノ刀持チテ會津ニ走り
密カニ葬ル 余郷土ノ歴史ニ関心アリ諸々ノ寺社佛閣ヲ尋ネシ所コノ史実ヲ知リ
首級ノ碑ヲ建テ此ノ刀ヲ受ク
陸軍少将 若松市長松江豊寿
この「下僕」はおそらく「会津小鉄」と呼ばれる上坂仙吉。
そして「生前の愛刀」となっておりますが
たぶん近藤が「使って」いたものではなく、新選組もしくは局長名で上坂にあげたものでは?
と、新選組刀剣研究家・権東品氏が推察しております。
新聞には「近藤が最後まで持っていた愛刀の一つ」と書かれますが
それはちょっと私も疑問。
権先生のおっしゃるように、勇さんが何かのおりに上坂さんにあげたものではないでしょうかね。
もしかしたら京都を離れる時だったかも、しれません。
さて、ではこの鞘書きの内容については次に。
参考書 1-2
令和2年詠月(えいげつ)5日 汐海 珠里