昨日の続きです
これまで勇さんが京都から送ったお手紙の一番はじめは
文久3年3月の 「志大略相認書」 だと思われておりました。
当然のことながら7年前にブログ記事書いていた時もそう思っておりました。
あの、歳様の追伸というか添え書きのようなものが、ちょっこと書かれているお手紙ですね
上から2行目の記事は、こちら☆
いや、正直申し上げて手紙内容については何の参考にもならない記事ではございますが
略内容を記しますと、京都の情勢やら決意、そして入用品として大小の刀や鎖着入、頭巾を送ってくれという事。
そして3月10日に会津公へ差し出した嘆願書や16日に拝謁したこと。
あと、22日に板倉勝静さんへ提出した意見書などでしょうか。
末尾にはblog記事にも書いた勇さんの和歌と、剣術道具送付依頼。
そして歳様の彦五郎さん宛ての伝言(?)が書かれております
ところが、その後に同年2月26日付けのお手紙がある事を、小島政孝さんが発表されました
つまり京都に着いて3日目です。
そのお手紙に、勇さんが宿泊した場所のヒントがありました
続きは明日に引っ張りますっ
令和2年仲呂(ちゅうろ)11日 汐海 珠里