「歳様戦死」 のあとの幕末記事は

「弁天台場降伏の日」 と 「五稜郭開城の日」 だけにしようと思っていたのに…

なんかやっぱり箱館から戻ってきて、毎日書いてしまいました あせる

じゃないと、ちゃんと繋がらないような気がして。。。

 

それももう一昨日で終了です。

「150年前の本日」は、もう書くことはないのかな。

もしかしたら、時に 「15×年前の本日」は。。。 って書くかもしれないけれど 爆  笑

 

ちょうど「150年前のその日」におきた出来事を書いていこう、と思ったのは、今から6年8ヶ月ほど前の事。

そして実際にブログを立ち上げたのは、2012年12月12日。

「イチニ、イチニ」と歩き始めようって。

旧暦でいえば、文久2年の11月上旬。

それから浪士組の募集があって… とその頃から書いています。

 

もちろん新選組に関して、全部の日に記録が残ってはいませんから、そういう日は様々な記事で埋めながら、なんとか辿り着きました。

はじめは単に「その日の出来事」的に書いていこうと思った。

でも、その「事実」を小説風に書いてみたりするうち、そちらの方が楽しくなり、皆さまにも好評だったり。

そんな書き方が、しばらく続きましたよね。

特に新選組のスタートの頃は、メッチャ楽しかった~ ニヤリ

もともとは私、史実(の定義は難しいけれど)ベースの小説を書きたくて、その為に新選組や土方歳三を調べていたんだし あせる

 

でもね、だんだん書いていくうちに、やっぱり「新選組のこと」だけじゃ説明がつかなくなってきて、幕末史的なものが入ってきて。

さらに史資料を読み込むうちに、新選組や近藤・土方に対する「イメージ」が変わってきて…

これはもっと違う伝え方、書き方をしていかないとな、と少しずつ変わってきた時に、私自身の環境も変化してきました。

 

新選組を、土方歳三を、追いかけていくには、彼らの周囲をもっともっと知らなければならなくなるし、知りたくなる。

範囲がどんどん広がって、どんどん深まっていく。

それでも時代の流れからいえば、ほんの短い時なのかもしれないけれど。。。

それでも。

ずっと日々、彼らを追いかけて来たこの6年半は、私にとってとても大切な宝物だと思います。

そしてそれを体験した今、再びまたスタートに立って、京都時代も調べなおさないといけないな、ともぼんやり感じています。

だから急に、「15×前の本日」って書きだすかもしれません グラサン

 

150年目の命日のその日、一本木関門が実際あった場所でも、慰霊碑が立つ場所でも、そりゃ少しは(?)泣いたけど。

でもすっごくすっごく悲しくて切なかったのは、

その少し後と、翌日に碧血碑に行った時かな。

私の中では、20日の朝までは、まだ生きていたから。

それが、

ああもういないんだ。

さっきまで生きていたのに…

昨日まで生きていたのに…

って。。。ショボーン

 

箱館から帰ってきて、その後の一連の日々を書き終えて

少し落ち着きました。

一昨日までに書いた記事は、2597本。

そのうちテーマ 「新選組史」 が979本。

よく書いたなぁと思いつつ、怖くて初期の頃のを読み返せない(笑)

 

まだまだ書きたいこともあります。

新選組史跡で書いていないレポもあります。

毎日じゃないかもしれませんが、更新しますね。

今後とも、宜しくお願い致します m(__)m お願い

 

※)おまけキラキラ

150年後の初七日に、スマホを変えて髪を下ろしました。

って、仏門に入ったわけじゃないけれど あせる

久しぶりにショートに てへぺろ

 

※)おまけのおまけキラキラ

私、だいたい何でもなるべく何らかの形での署名を入れます。

フルネームの時もあるし、イニシャルだけの時もあるけど。

それは、自分の書いたもの、書いたことに、責任を持ちたいから。

間違えたこと、間違っていたことに対しても、ね。

だからずっとブログ記事にも最後に必ず名前を入れてきました。

なのに、歳様戦死の日の記事だけは、まったく忘れていました。

箱館から帰って、改めてもう一度読み直して、「あれ?」って ガーン

自分ではもうその時点で、落ち着いていたつもりだったのだけど、やっぱり動揺していたみたい、です。

 

 

さて~

時々はテレビ観るぞ!

幕末以外の本も読むぞ!

ひとりでもゆっくりお茶を飲むぞ!

あ。。。 でもその前に

「7月になったらね~」という言葉とともに、放り出していた事柄が山積み。。。 びっくり

まずはコンタクトを作り直して、免許更新に行かねばっ 爆  笑

 

 スマホケース、発注中あせる

 

 

   令和元年水無月晦日  汐海 珠里