ブログ記事内、最後の「150年前の本日」です。

150年前の本日は、明治2年5月19日

この日新政府軍は祝賀の大砲を発しました。

 

 

十九日官軍蝦夷平定の祝砲あり。

   (説夢録)

 

夫より市中は五百人三百人之官軍笛太鼓に而町廻り暫時も止る事なし

   (箱館軍記)

 

 

前年の12月15日。

蝦夷平定を祝した箱館軍。

その時の様子をつい先日書いた気がしたのに・・・

半年にも満たなかったのですね。

 

5月21日、新政府軍は大森浜に祭壇を築いて陸軍155名、海軍68名の戦死者の慰霊をしました。

厳かな様子は「箱館軍記」に記され、また4月6日以来市中の者はやっと笑顔を見せたとも書かれています。

 

一方、箱館軍の戦死者の実数は不明。

その多くは埋葬されず放置されていたとの事。

これを侠客の柳川熊吉さんが配下を使って、称名寺・実行寺・剛浄玄寺に埋葬。

これに対し咎めを受けそうになりましたが、軍監の田島敬蔵さんが助命工作をし、死一等を減じられたそうです。

 

その後、碧血碑が建立されたのは明治8年。

旧幕府軍戦没者はここに慰霊されております。

 

きっと、歳様も。。。

 

 

 

 

 

 ※ 2019年6月撮影

 

☆ 厳密にいえば、まだ箱館戦争が終結したわけではありません。
室蘭の投降は25日です。
けれどひとまず、新選組が関わった幕末史としての私の記事は、これで筆をおきます。
 

 

   令和元年6月28日  汐海 珠里