昨日、よみうりカルチャー横浜講座ご参加の皆さま
ありがとうございました
さて本題は昨日の続きの幕末です
150年前の本日は、明治2年元日。
お正月を賀して、各隊にお餅が配られました
二年己巳春正月朔正を稜城に賀す(新餅を各隊に分与す)。
(北洲新話)
元日共に正を稜城に賀し、桝を酌て先つ駿城を遥に拝す。新餅を以て各隊に配与す。
(函館戦記)
お餅…
どんな風に食したのでしょうか。
お雑煮とか作ったのかしら
故郷の雑煮を、思い出していた人たちもいたかもしれませんね。
って、そういえば京都で迎えた初めてのお正月(文久4年)の時
私はブログ記事の中で、隊士たちにお雑煮を食べさせていましたよねぇ。
その頃は新選組史の記事も、小説っぽく書いていました。
山南さんや特別出演の明里さんもいましたね。
以前からの読者の皆さまは覚えていて下さるでしょうか。
(その時の記事は こちら☆ )
今、その記事を読んで自分が書いたものなのに、涙が出てきました
箱館で迎える初の正月。
歳様も京都での正月のことを、思い出すこともあったのかなぁ。
そして「駿城」とは駿府城の事。
徳川家十六代を相続した田安亀之助(家達)さんに、駿河府中七十万石が下賜されておりました。
遥か駿府の地に向って…
北の地にこういう方々がいるのを、慶喜さんは思う事もあった正月元日であったでしょうか。
そしてこの日、歳様は小柴さんとともに桑名藩の酒井さんのお宿を訪ねております。
元日 晴又曇立箱館大町大津屋方に止宿 朝屠蘇雑煮等差出
夜土方歳三小柴長之助罷越面談 此日兩刀受取即夜士官隊五人附添山之上神明社神職之宅に護送せらる
(酒井孫八郎日記)
酒井さんの日記は、日付毎に割と簡潔に書かれていて、とても読みやすいです
ただ句読点がなく全部続いているので、微妙に空間等入れています事、ご承知下さいますように
(他の史料等も同様です)
えっと、宿屋さんではお正月ということで、お屠蘇やお雑煮が出たようですね
夜になって歳様たちが来て、面談をしました。
その後、定敬公がいらっしゃる神主さん宅に送られて、拝謁したようです。
夜半に宿へ戻りますが、それからは生駒さんと 「日々御座所に伺」うことになります。
酒井さんは取り上げられていた両刀を返してもらったようですね。
はっきりとは書かれていませんが、日記の流れ的には歳様が持参してお返ししたのではないでしょうか。
そんな気がします
歳様と同行した小芝(酒井日記の表記では柴)長之助さんは旧幕臣で、箱館では探索頭取とともに市中取締として歳様配下にいました。
「佐藤彦五郎覚書」「両雄士伝」によれば、5月11日歳様戦死の時、その遺体の引き取り使者として、五稜郭から派遣された方。
晩年には土方家を訪れたとの伝承もありますね。
※小芝長之助墓(円通寺) Sさま提供
私も14年10月に円通寺に行っているのに、小芝さんのお墓は撮っていない
この方、晩年は円通寺の墓守だったそうです。
2019年建国記念日 汐海 珠里