明日、よみうりカルチャー主催の「布田道歩き」が、お天気大丈夫そうなので 予定通り開催されます
今回のレジュメは私と田中さまが作成しましたが、地図の資料だけでも半端ないです
近い将来歩けなくなるかもしれない危機のある道です。
数名の余裕があるそうなので本日まで受け付けします
ご希望の方は こちら☆ まで。
さて、記事は幕末が続きますよ~
150年前の本日は、明治元年11月1日。
この日から新選組は、一本木の関門守備と市中見廻りを開始しました。
同十一月朔日より一本木関門沖ノ口運上所嚮師館等え番兵出且市中巡邏す。
(中島登覚書)
我隊は函館の守を命せらる。
(戊辰戦争見聞略記)
そしてこの日、開陽は箱館湾へ、蟠龍は松前港に進入。
蟠龍は、松前藩と砲撃戦になりました。
此日開陽函湊へ入津す〈初め開陽は舵の繕ひ十分ならざるに依り尚鷲ノ木に滞碇せしが五稜郭よりの報告を得、昨日鷲浜を出帆す〉。此地平定を賀して祝砲二十発をなす。
茲亦函館よりは敵の動静を瞰はんが為に蟠龍をして〈此日午後三時頃〉松前に廻す…
(北洲新話)
開陽艦は楫の繕い十分ならざるにより尚鷲の木に碇泊せしに、五稜郭よりの報告を得。晦日朝同所出帆十一月朔日函館港に入り此地の平定を賀し祝砲二十一発をなす。(中略)
先是〈開陽の入港せし日〉箱館よりは敵の動静を瞰わんが為、払暁蟠龍をして松前へ廻せしに午後〈三時頃〉福山の湾中に…
(麦叢録)
鷲ノ木に碇泊していた開陽が、箱館入港をして祝砲をあげたという事ですね。
20発か21発か
は、いいとして 、麦叢録では市民に「米銭」を施して「衆大に悦服す」と書かれます。
そして開陽と入れ替わるように蟠龍が松前へ向かいます。
情勢をさぐる為としていますが、松前港に進入すると、松前城と砲台にむけて「試に」「ナポレヲンカノン」砲を一発打ちます。
松前藩では蟠龍を発見した時点で築島砲台から警戒の号砲を鳴らしていました。
それに対抗したのかしら
で、すぐに砲戦となります。
松前藩の砲はほとんど蟠龍には届かずに、多くは海に落ちたとありますが、二発ほど被弾したようです。
丸毛さんによれば、特に怪我人はなく、日も傾いてきて波が高くなったので箱館へ戻ったとしています。
が、松前藩の言い分はちとニュアンスが違う
櫓上に観察致し候賊徒二三十人、たちまち左顚右倒、海中に覆没の者も相見え、船身もまた傾危の様にて白神洋中に逃げ去り申し候
(戦争御届書)
蟠龍は箱館に戻る道すがら、福島海岸に敵兵を見つけ、これを砲射します。
この砲撃が八幡社の社殿に命中したとか
一方、陸の土方軍の方は… ➁へ m(__)m