やっと、だいぶ以前に放送された「本田家」のビデオを観ることができた珠里です。

やっぱ凄いなぁ、本田家 ニコニコ

ただ今、文化財ウィークで主屋と薬医門が公開されています。

 (~11/4 10時~15時)

 

さて本題は幕末 キラキラ 

150年前の本日は、明治元年9月14日

この日旧幕軍は白石城下に宿陣しました。

 

 

十四日 桑折を発し越郷の関門を通行して、白石城に一泊す、

   (南柯紀行)

 

 

実は前日、大鳥さんたちは軍議を開き、「奥羽の藩一も恃むべきものなし」として、榎本さん率いる海軍が仙台に到着しているということなので、榎本さんたちと力を合わせて事を共にするしかない!!

と、仙台行きを決めていました。(同史料より)

で、本日出立して白石まで来たのですね。

 

翌朝払暁に、大鳥さんは早駕籠で仙台城下へ向かいます。

 
 
なおこの頃、列藩同盟盟主であった輪王寺宮公現法親王が、新政府に謝罪状を提出します。
その後は京都で蟄居。
還俗した後、明治5年に「北白川宮家」を相続します。
やがて軍人となり、台湾出征して当地でマラリアに懸かり亡くなったとの事。
 
 ※北白川宮能久親王之墓 Sさま提供
(最初に埋葬された場所だそうで、墓地移転址の供養碑)
 
また輪王寺宮の執当・覚王院義観さんは、東京に送られることになります。
歳様が怪我から復帰した時に、謁見した方ですね。
彼は、新政府軍への抵抗はあくまでも自分の判断で、輪王寺宮はあずかりしらないことと主張し、提供される食事を丁寧に断り、そのまま亡くなったようです。
谷中霊園に眠ります。
 
 ※覚王院義観之墓 同
 
 
   2018年10月29日  汐海 珠里