昨日は、「横浜歴史博物館」へ行ってきました。
「戊辰の横浜 名もなき民の慶応四年」
という企画展示の初日でした
思いがけない展示物もあって、良かったです
レポはまた近日中に
そして本日は「よみうりカルチャー横浜」での権先生の定期講座4回目。
一ちゃんと新八っちゃんの事と、彼らの刀の事
午後1時45分~ となります。
ご出席の皆さま、宜しくお願い致します
さて本題。
幕末です
150年前の本日は、慶応4年6月3日。
この日、新選組は福良にて、松平喜徳さんに拝謁いたしました。
三日 天気。昼後夕立無程止。(中略)
新選組、三代口ゟ戻、福良泊。一統於御本陣御目見御懇命有之、隊長山口次郎、中隊安富才助、大将土方歳三殿、中隊頭近藤早尾、是は歩兵頭。
(荒井治良右衛門慶応日記)
此時松平若狭守福良村ヱ御出陣被遊当所ヱ当隊一同御呼出しに相成可肯会藩達野某奉命して来、直に当村ヱ罷出拝謁す。
(島田魁日記)
先日、牧之内まで敗走した新選組ですが、三代まで戻っていたようです。
本陣のある福良と三代はお隣なので、おそらく新選組のことが喜徳さんの耳に入ったのでしょう。
この日、拝謁の運びとなりました。
荒井さんの日記に歳様のお名前が見られますが、当然この時はまだ会津城下の清水屋か、もしくは東山温泉での療養中。
単に新選組の大将は、土方歳三だよ、という意味でしょうか。
「中隊頭」とされた「近藤早尾(隼雄)」さんですが、その後の記述から、「歩兵頭」であるようですよね。
ならば、この「中隊頭」は、安富さんのことでしょうか。
実はこの時に作成された名簿があるのですよ
三代で作成されたものなので、通称「三代滞陣者名簿」といわれています
で、この名簿を喜徳さんが御覧になるのは、この翌日
なのでその名簿の内容は、明日の記事にしましょうか
※ 福良御用場跡 2014年9月撮影
御用場は、藩役人が常駐し、時には本陣の代わりとなったり、藩主の休憩所として用いられたといいます。
もしかしたら新選組隊士たちは、こちらへ宿泊したかも
ちなみに福良には、本陣・脇本陣・御用場(以上は武藤家)と、問屋2軒・宿屋5軒がありました。
2018年7月22日 汐海 珠里