昨夜の続きの、150年前の今頃の勇さんたちのエピソードを
昨年7月の京都霊山歴史館での権先生の講演の際、20分程
「慶応四年 一死報君恩」
ということでお話しさせて頂きました。
慶応4年における勇さんの事をお話したので
当然、五兵衛新田のこともでてきました
で、ちょっとほのぼのエピソードとしてご紹介したのが
「綾瀬村の近藤勇」
昨夜少し書いたように、もちろんこの中には隊士の横暴さの事や
とても怖いおもいをした事も書かれていますが、
今夜はちょっと両長の、モテモテ・エピにしましょうね
昨夜もチラっと書きましたが、そのすぎ女が亡くなる1年前(昭和7年)87歳の時、孫の家を訪れていて、ふとしたきっかけで話し始めたのが近藤勇の事。
ちょうど居合せた斎藤三郎氏がそれを纏めて、「綾瀬村の近藤勇」を昭和9年に脱稿いたしました。
その第一声というのが
『近藤勇はお前さん、いゝ男だったよ』
でした
この頃は新選組が綾瀬にいたという事は書かれたものがなく、また一般には「いさむ」が正しいとされていたようです。
『お婆さん、「いさむ」だらう』
と、云ふと、
『お前達は知らないんだよ。「いさみ」が本統なんだよ』
と頭を振る。
『近藤勇は大きな男だらう』
と、聞くと、
『いいや、小柄で、キリゝと緊った男らしい男だったよ』
と、続きます
そして非常に愛嬌があって、村の百姓達に途上で会うと、いつもニコニコ笑い、両頬に大きな笑窪が出来て、それがまた何ともいえぬ魅力であったというのです
この時、すぎ女23歳。
金子家本家の実太郎さんとは許嫁同様(のちに結婚)であったそうですが。。。
で、どの程度に「いい男」なのかと訊けば
『村のあまっちょ共が、島田に結ったり、とって置きの着物に着替へたりして、そっと覗きに行った』
くらいだと
すぎ女もその覗き組の一人で、乙女心の儚くも垣根越しに胸をときめかせていたそうな
んでもって、
よく晴れた日など、勇さんは歳様と縁側で碁盤を持ち出していたようで、何かの拍子に庭先へ視線を移すと
『あらッ。勇がこっちを見た』
と、あまっちょ達は胸をときめかせたみたい
そして
「少しでもよく見度いと云ふので、隣家の二階へ上って、窓から覗いたり、甚だしいあまっちょに至っては、庭木へ上って、その茂みの中から目を光らせてゐたものもあった」
そうですよ
でね、悪戯者の隊士などは、彼女たちが覗いているのを知って、鉄砲を向けて撃つ真似なんかもしたんですって
すっごいモテモテの勇さん
け・ど・ね
『勇も好い男だが、土方と云う人はまことに柔和な人柄でな。役者にでもしたいやうな男前だったよ。それに、勇より格服(恰幅)はいゝし、そりゃお前さん、あまっちょ達が大騒ぎしたもんだよ』
って、歳様の方がいい男という事ですかぁ
やっぱりな
そういえばね、昨日ご紹介した、「聞書・五兵衛新田始末」にも、こういう記述があるのです
土方歳三は、隊士の教練のあいまには、綾瀬川で一人のんびりと釣を楽しむ姿を、時折見かけたようでございます。村の娘が土方と通りすがったのでございましょう。
「いい男だっぺ。あんな男と一晩寝て見てェ」といったとかいう話が今に残されており、近藤のいかつい顔立ちとくらべ、土方の好男子ぶりが偲ばれるようでございます。
ん~、やっぱ「いい男」の軍配は、歳様でしょうか
2018年弥生18日 汐海 珠里