昨日の続き
会場入り口の案内。
なんとなくテンション上がりますよね
当日のレジュメ
新八っちゃんの年表や、家系図も添付されていました
お話は、主に新八っちゃんの明治以降の足跡。
そして戸籍簿や樺戸集治監に、剣術師範として奉職していた時期くらいの、職員の集合写真!というものも
でも残念ながら新八っちゃんは写ってるかは確認できなかったとの事。
いやいや、もしかしたらどこかにひっそりと…
あと、やっぱり新選組の為に板橋に碑を建てる為に奔走したお話は、感動です
なんだかんだと袂を分かった勇さんだけど
新八っちゃんにとっては、本当に大切は仲間だったのですよね
明治19年に上京して、剣術道場を開いていたのですが
その道場名は、「文武館」。
新選組が京都で建てた道場と一緒の名です
しかも看板は、松本良順先生に書いて頂いたのですって
※ 珠里注1
浪士隊として京にいって、八木邸に建てた道場が「文武場」。
(近藤勇書簡より)
ただその一年後の勇さんのお手紙には、「文武館」となっていました。
「館」の方がかっこいいと思ったのかな
ついでを言いますと、「試衛館」とは当時の史料に書かれたものはありません。
小島家史料では、「号・試衛」のみ。
唯一、富沢日記に、「試衛場」の言葉が書かれています
なので当時は、試衛場だっと思うのです。
ま、文武館に見られるように、「館」の方がいいなと思ったのだとしたら、現在お空の上で、
うん、「試衛館」の方がカッコイイぞ
と、喜んでいるかもしれませけれどもね
なお、「文武館」は、屯所を西本願寺移転時に、八木邸から持って行ったと伝えられます。
が、不動堂移転時にはどうなったのかは不明。
そして小樽新聞に
「永倉新八~昔は近藤勇の友達~今は小樽に楽隠居」
が、掲載されたのは、大正2年3月から6月。
新八翁75才の時でした。
その2年後にご自宅にて死去
昭和2年、新八翁十三回忌に、子息の義太郎氏が
この記事をベースにした「新撰組 永倉新八」を書籍化。
ただし私家版で非売品・限定200冊のみ
これをベースに、一般的に販売されたのが、「新選組顛末記」。
昭和46年の事でした。
※ 珠里注2
現在、もともとの小樽新聞掲載記事を編集したものが、書籍化されています。 (「新選組奮戦記」・菊地明注)
さらに平成10年には、新八ちゃんの手記「浪士文久報国記事」が発見されましたね
(杉村氏によると、この執筆は明治9年ごろからという事)
新選組を現代に伝える、大変に貴重な史料です
新八っちゃんには感謝の言葉もありませんよね。
さて、では新八っちゃんの遺品と、彼に纏わる刀に関しては
また続きに
2017年師走26日 汐海 珠里