①より
池田屋事件の夜、歳様が使った刀は何か
権 : (池田屋へは) 近藤が虎徹、土方はノサダですよ。
近藤の手紙に和泉守兼定二尺八寸て書いてあるんですけど、これは文久三年十月に十一代兼定はいませんので、和泉守兼定っていうのは二代の「ノサダ」を持っていたことになる。
近藤が虎徹を持っていったならば
「土方君、君何を持ってく❓ 」
って言ったら、貰ったノサダを持っていったと思うんです。
本物か偽物かは、別ですよ。
また、この名刀「ノサダ」に関して、本人も後々の人も、誰もしゃべってはいないですよね。それは何故なのか。
私は追っかけ土方が来た時に戦闘になり、ポキンと折れちゃったのだとと思います。
折れたことは恥ずかしくて人には喋りません。
また周りも忖度して喋りません。
そんなこともあって、私は土方が近藤と同じく鴻池などの豪商から貰った、ノサダを池田屋に持っていったんじゃないかなと、思います。
それで、折れてしまったと。
珠 : 心情的にはすごくよくわかって、私もそれを聞いた時に、「絶対土方はノサダを持って行った」と、思ったのですが…
では、実際にノサダを持ったことがあるという谷さん、ノサダで戦う事ってできるのでしょうか?
谷 : 俺が答えるんですか?
珠 : はい。
谷 : あの、正直な話として、私が持ったことのあるのは二尺五寸のノサダです。これ本物でした。
持ち主が大学の先生で、知り合いだったものですから、抜いて振らせて頂きました。
はっきり言って、使えません。長すぎて。
しかも、だいたい重さが二キロくらいあるんです。
通常の刀が一キロですよね。
そうすると二キロの刀を、相当の腕力があっても振り切るのは難しい。
(中略)
それと室内戦闘なので、もうはなから、それ用の物を持っていく。
池田屋以前に、武器が足りないという事で、日野にも「刀送れ」の手紙が来りして、日野では下原刀であるとか、そういうものを調達して京都へ送ってます。
おそらくそういう刀を持って行って、戦闘に使ったんじゃないかと、私はそう考えてます。
珠 : ありがとうございます。
結構、近藤は「虎徹持って行くぞ」とか、熱くなるタイプ だと思うし、実際に自慢して歩いたというエピがたくさん残っていることからも、普段から虎徹を差していたのではないかと、思うのです。
だから池田屋にも、持っていった。
けれど、土方の刀に関する記録って一切ないんですよね。
彼は、ものすごく合理的 な考えの持ち主と思うんですよ。
ですから、ファンとしてはやっぱりノサダを持ってって欲しいとは思うのですが、ここは実戦刀を持って行ったのではないかと、私も思います。
谷 : っていうか、やっぱり一度ね、皆さんに言いたいんですけど、真剣を振ってみればいいんです。一度でいいから。
通常の一キロの真剣と二キロの真剣の刃の速さの違いっていうのがわかったら、とてもじゃないけど二キロの真剣なんか使えません。
いやいや谷さま、真剣を振る機会ってそうそうないと思いますよ、普通
振ってみたいけど
まぁ、上記のようなやりとりがあったのですが、
少々補足いたしますね
権先生のおっしゃる、「ノサダ」というのは、昨年の講演からお話していますので、意味は皆さまおわかりかと存じます。
「文久3年10月」の勇さんの手紙で「和泉守兼定」と書かれている。
十一代が、「和泉守」を拝領したのは、その後。
よって、この時点での「和泉守兼定」は二代・関兼定、通称「ノサダ」である。
そして小島家の記録により
「富商」から、近藤・土方・山南が、それぞれ虎徹・兼定・国広を貰っているようだが、富商からのもらい物は、本物であると思われる。
と、いう事ですね
ただね、権先生が色々と聞き込み調査を行った結果
「二尺八寸」という、そんな長いノサダはほぼ「無い」と思える。
なので、この「長さ」に関してはやや疑問で
偽物では? と言われる所以でもあるのですね
けれど、谷さんが二尺五寸の本物のノサダを振ったという事から、あり得ないとは言い難いのです
ただ、ノサダは「古刀」になりますから、非情に刃が厚く、それだけの長さになると、かなり重くなります。
(江戸時代に使われていたのは、ほぼ「新刀」)
その重さのものを、室内戦闘になるだろうと予測される場に持って行くのか という事ですね
また、のち程のお話でも出てくるのですが
「兼定」は、歳様が好む刀ではないような、ところもあるようですよ
けれど、権先生のおっしゃるように
「名刀」であることも、ひとつのキーポイント
というのは、その前に河端先生の発言にもあったのですが
「名刀」は、「曲がっても折れない」という事があげられるのです。
当時、「名刀」などというものは、滅多に手に入るものではなく
ましてやお金があったとは思えないこの頃の新選組の面々が
そういう「名刀」を持てたというのは、非情な喜びでもあると思います。
まぁきっとだからこそ、勇さんは虎徹を大事に持って歩いたと思うのです
で、池田屋事件の夜、大掛かりな探索をするにあたって
歳様も「名刀」を持っていたなら、それを持たずしてどうする
という考え方もできるわけです。
(結果としては、権説では折れてしまうのですけれどもね)
ただ私的には、座談会でも発言したように、
現実主義者である歳様は、「名刀ノサダ」より、自分の手に一番馴染んだ使い勝手の良い刀を持って行ったんじゃないのかなぁ、と思いますが
(あ、勇さんは、絶対に虎徹です と、思います )
いろんな考え方があるとは思います。
三人が三人ともに、「視点」を違えての意見だと思うのですが
さて、皆さまはどう思われますか
2017年長月15日 汐海 珠里