ちょいと幕末に戻ります
150年前の本日は慶応3年8月14日。
この日、幕府監察・原市之進さんが、暗殺されました
町奉行与力組屋舗旅宿致居鑑察原市之進殿へ、去る十四日朝五時前、遊撃隊鈴木熊太郎・遠山良之助と申、面会致し度趣取次之者へ申に付、・・・(以下略)
(藤岡屋日記)
これによりますと、遊撃隊を名乗る二人が原さんところへ朝訪れたのですが、彼は登城前だからと断ります。
けれど、どうしてもというので座敷に通す為に控えさせていたら
結髪中の原さんに斬りかかって殺してしまったという事。
そして首を直ちに板倉伊賀守の屋敷に持っていったんだけど、門前払いを受けて、なんと切腹を図ったのです
そこへ原家臣が駆け付けて、両人の首を取り上げ、また原さんの首級も取り返した、との事。
実はこの二人、遊撃隊などではなく、
本名・依田雄太郎・鈴木豊次郎という幕臣。
つまりは同僚
依田さんは切腹死、鈴木さんは死にきれずに殺害されたようです。
さらに、彼らは板倉邸の門前で騒ぎを起こしたわけですが
その少し前に、板倉邸を訪れていた人がいました。
それが、鈴木恒太郎さん。
そう名前から察しがつきますね。
豊次郎さんのお兄さんです。
彼は急用があるといって、公用人への面会を待っていたのですが、その騒ぎに突如切腹を図ったのです。
しかしながら取り押えられて、経緯を話すことになります。
同じく藤岡屋日記によれば
懐中には金子十五両。
帯刀していたのは、近江大掾藤原忠廉の銘があるもの。
そして書物三冊と、建白書と思われるもの、でした。
その建白書というのが、
原市之進・梅沢孫太郎の「斬奸趣意書」であったのです。
つまり簡単に要約しますと
攘夷論者であった慶喜さん、
そして原さん自身もそうであったのに、神戸開港などの開国論に転じた事で色々な複雑な感情があったのでしょう。
この原市之進さんについて
また、この暗殺に関わっていたとされる人たち
そしてこの事件と、勇さんに関する事については明日に m(__)m
因みに・・・
鈴木 恒太郎さん 28才
同 雄太郎さん 26才
依田 豊次郎さん 24才
そして
原 市之進さんは、38才 でした。
2017年長月11日 汐海 珠里