先日来、亟ちゃんに絡めて

「会津の小鉄」こと、上坂仙吉さんの事を書いてきました メモ


そうしたら、権先生より
「こんなのがあったよ」
と、送られてきたのが、これ。

 

近世侠客有名鏡

 

勧進元に、「會津ノ小鉄」のお名前がありますねぇ ニコニコ
浅草 新門辰五郎」「駿河 清水湊ノ次郎長」も キラキラ

 

新選組ファンに、ちょい有名な?のは
小結 武蔵 小金井小次郎
前頭 甲斐 裕天仙之助 

でしょうか 爆  笑

 

これは明治26年の番付け表なのですが
当時としては、けっこうなベストセラーになったようですよ 乙女のトキメキ

侠客って、憧れ的な人気があったのですね キラキラ

 

この資料が掲載されていたのは

 

日本の親分グラフティー
  (昭和51年12月実話時代 編集所創雄社 発行所三和出版)

 

こういうのも 下矢印

 

幕末関東博徒系図

 

 

小鉄さん、意外にも関東系博徒なのですね。
彼は17歳の頃に大坂所払いとなって、日光・水戸・そして江戸へと長旅に出ています 
あし

その時に、武州三多摩にも足を運んでいるようですから

バラガキと呼ばれていた歳様と、

どこかですれ違っていた可能性も おねがい

 

その後、逞しくなって関西に戻り、会津藩の中間ともなるのですが

その愛称の「小鉄」の由来は、

もちろん彼の愛刀、「長曽根入道虎徹」から。

彼が24、5歳でひとかどの親分として一家を挙げた折

買い求めた長脇差で、「古鉄」の銘が入った業物だったそうです。

(武士ではないですから、大刀は持てず)

 

その虎徹が、これ下矢印なのかしらん キョロキョロ

 

 

この肖像画は、たぶん明治になってからのものですが

鳥羽伏見の戦いの後、

会津藩兵をはじめとする東軍兵の遺体収容をしていた時に

その手にしっかと握っていたのは、もしかしたら

阿州吉川六郎源祐芳」 刀

たっだかもしれませんよっ 目

 

どうしてかって ?

 

うふふ ( ´艸`)

その続きは、

明日の朝刊でねっ !?

ただし、産経新聞限定です ウインク

 

 

※ なお、先日亟ちゃんの記事を書いた時点で、

「壬生寺過去帳」「林家過去帳」の書かれた時期が、はっきりとわからなかったのですが、昭和50年前後に書かれたことが判明しました事を

追記しておきます m(__)m

 

 

   2017年こまめ誕生日  汐海 珠里