幕末です
150年前の本日は、慶応2年6月23日。
この日、新選組隊士・柴田彦三郎さんが切腹しました。
六月二十三日隊士芝田彦太郎二屠腹セシム。
(新撰組始末記・名前ママ)
柴田彦三郎 忠興 同年 六月二十三日没
(光縁寺墓碑銘)
藩不明 切腹 同 柴田勝三郎
(同志連名記・名前ママ)
先日、細かな人相書にて発見され捕縛された柴田さん。
そのまま屯所に引き戻されます。
そして隊規違反による、切腹。
無論、「見せしめ」
という意味もあったのでしょう
それとも、「切腹」という
武士にしか許されないこの死への申しつけは
ある意味「温情」なのかなぁ…
とも思うのです。
だって、斬り捨てられても仕方のないところだよね
なお、光縁寺の山南さんの墓碑側面に、
河合耆三郎さんと並んで上記のように刻まれていますが
「往詣記」には、何故か埋葬記録がありません
でも同志連名記にも「切腹」となっているので
そうであったと、信じたい。
そして、
この柴田さんの切腹が、きっかけとなったのかどうか
1人の隊士が、もう1人の隊士と、何やらこそこそと…
続きは明日
2016年壮月(そうげつ)3日 汐海 珠里