150年前の本日、元治元年4月12日です。
前夜、送別会の席で、郷里に託したい物があると言った歳三は、朝から自室で筆をとっていた。
「副長、朝餉の支度ができていますよ」
総司がふいに襖を開ける。
「お前なぁ、一応開ける前に声かけろ」
さほど怒っているようには聞こえない声で、歳三が言う。
「はいはい。でもどうせ気配で察しているんでしょ?」
総司も気にする風もなく、歳三の手元を覗き込んだ。
ふうっと息と吐いて、顔を上げる。
「鉢鉄、ですか?」
総司が書状を手にとった。
覚
一、 はちかね壱ッ
右者八月十八日御所
非常并廿三日三条なわ手
のたゝかひに相用ひ候間、此は
ちかねハ佐藤兄江御送り
奉申上候
子四月十二日 土方歳三
佐藤尊兄
「相変わらずの癖字ですね。手ほどきなさった覚庵先生がお泣きになりますよ」
「っるせ 」
総司はひょいとその拳をよけると、鉢鉄を手に取った。
「尽忠報国志 土方義豊」
裏に刻まれた文字を読む。
「いちいち声に出すな 」
「… 芹沢さん、思い出しますね」
歳三はそれに応えずに、不機嫌そうな顔をして再び文机に向かった。
筆をすすめようとして、ふっと手が止まる。
「大樹様の指揮で、攘夷することを目指して、京に来た。尽忠報国。その志は変わっちゃいねぇ。けど、幕府も薩摩も、そして今だ攘夷を唱える長州の奴らも、内心はもはややみくもな攘夷など無理な事たぁわかってるんだ」
「……」
「しかし帝はあくまでも攘夷をおっつける。いや、廻りにいる公家連中の差し金かもしんねぇけどな。そんな中で、我らが出来る事といっちゃぁ京の守護を承った容保公になり代わり、治安を守っていくことしか無ぇんだよ」
思い直したように、歳三は穂先に墨を含ませた。
「彦兄ぃと為兄ぃに、大樹様が御参内なされたおりに帝より御手渡しされた書状と、あと俺の日記帳を託そうと思う」
「日記? そんなもの書いてたんですか?」
総司が以外そうな声を出した。
「悪ぃか?」
「あ、いえそんなことは…」
「何だ?」
「まさか遊郭の女性ばかりの名を連ねた…」
「」
「」
「くっだらねぇ事をほざいている間にさっさと飯を喰ってきやがれ!」
「… はい。歳さんは?」
「俺は急ぎこれを書き上げる。誰かにここに膳を運ばしてくれ」
「わかりました」
出て行こうとする総司に、歳三はあっと声をかけた。
「お前、確かこの後は非番だな?」
「そうですが?」
「手間ぁかけるが、朝餉が済んだら富沢さんにこれらを届けてくれねぇか?」
小首を傾げて総司が頷いた。
「いいですよ。伝言が、あるんですね?」
ふっと笑って総司を見上げる。
「明日何もなければ見送りに行くが、こればっかはわかんねぇからな」
笑みを収めて声を低くする。
「日野には、あくまでも山南さんも達者であったと伝えて欲しいってな」
総司の顔からも、笑みが消えた。
「承知。重々に」
総司が立ち去った後、歳三は再び筆を手にする。
ー それがあんたの意向だよな、山南さん…
2014年皐月17日 汐海 珠里
☆土方の「日記」については現存せず。ただしこの日に書かれたと思われる土方の手紙が、前半部分は佐藤家に、その後半部分と思われる手紙(推定)土方家に残っている。
※ 任幸頃 便奉申上候 愈御壮健可被為在御坐奉上寿候
一 小子義 昨春中より上京仕 別段御奉公と申事ノ儀無之 乍然今ニも君命有之候ハゝ 速ニ戦死も可仕候間 左様思召被下候
右ニ付 死而之後ハ何も御送り可奉申上候様無御座候間 是迄之日記帳壱札并正月廿一日同廿七日大樹公 (以下欠損)
※ 御参代之砌皇朝より御手渡し之御直筆 壱札御送り奉申上候間 御写替被下 是ニ而も御取置可被下候
乍末内外共御無音之儀 宜敷御伝声可被下候 余は富沢君より御聞取之程奉願上候 草々不具
四月十二日 土方歳三
佐藤彦五郎様
土方為二郎様
人々御中
☆多摩の郷土史家・天野佐一郎が「土方歳三の手記」としてこの日記らしきものの一部を引用。
※ この時の土方の書状等は、5月14日に小島政則が見ているが、その時に土方が4両の無心をしていた?
五月十五日(中略)
一 連光寺富沢忠右衛門帰宅 京都ゟ土方歳造 日野宿佐藤彦五郎方へ差送る書面 日記帳等 昨日参り候間披見致候 歳造ゟ甲鉢鉄送り来る 真面二ヶ所切掛候 底の跡之有 是も書面の趣にては 万一京都に於て打死等もなく候 歳造ゟ 只呉朝暮四両呉致候様頼来申し候 (梧山堂雑書)