本日からツレの実家、鹿児島県指宿市に来ています 飛行機 

朝5時半の出発 ビックリマーク 

明日、義父の17回忌の法要があるからなのですが、寝不足な為、誤字脱字があったらごめんなさいです 目

 

さて、まだ続きの記事です ニコニコ

 

お腹も一杯になり、小野神社への参拝も済ませ、いよいよ「小島資料館」へ。

 


 

資料館正面の写真を撮るのを忘れました あせる

 

入って真直ぐ、玄関横にあった灯篭。

 

よく見ると「浚明院殿 尊前」の文字が見えます。

左側には「明六丙午年九月八日 奥州福嶋城主従五位下 板倉氏源勝長」

と書かれているようです。

明六というのは天明六年(1786年)丙午ですね。

浚明院殿というのは十代将軍家治さんの諡号です。

諡号というのは貴人の死後に奉る名の事。

この年にお亡くなりになっているので、板倉氏が墓前(尊前)に建てたものだったのでしょうか。


玄関前から左を見ました。

遠くに、やはり上野寛永寺にあった灯篭と、小島鹿之助さんの胸像が見えます。

 


 

こちらの灯篭は

「天明六丙年九月八日」

一行読めず

「従五位下 松平山城」までしか読めません ショック!

 

よく見ると、右側のところがボコってなっているでしょ?

 

これ、上野戦争の時の弾丸の痕なんですって。

Sちゃんに教えてもらいました。

 

この灯篭は、上野のお山の悲劇を身を持って体験したんだね。

 

もしかしたら、左之さんが触れたかもしれない…

 

やばっ !!

 

泣きそうだっ ガーン

ぐっと我慢して、お隣の鹿之助さんにご挨拶してから、奥にある勇さんにもご挨拶 音譜



この勇さんの胸像は、京の壬生寺・愛知の法蔵寺それに三鷹の龍源寺に同じものがあるそうです。

って、これもSちゃん情報 ニコニコ 

 

中に入りまぁす 音譜

 

入り口のガラス戸越しの人影。

「あ、いたいた。高倉健さん ラブラブ

Sちゃんの言葉に、私一瞬本当に健さんが見学にいらしていたのかと思いましたもん。

 



ちょっと俯いてしまわれたけれど、似てません?

 

高倉健さん ドキドキ

 

歳様のパネルも ラブラブ

 












改築前の小島家。

階下はそのまま残したとか。

廊下の梁は一本の太い木そのまま。

凄い!



上段の間。

左奥に見えているのが、勇さんの七言絶句を書いたもの。

 

そしてこちら

 

 

 

 

これは安政七年三月に秋川明神社に奉納された天然理心流の額のパネルです 目

 

 

実物はもう一回り大きかった、といっても写真じゃ大きさはわからないですよね あせる

かなり大きいです ビックリマーク

ま、だからこそ外には掲げておけなくて、屋内にあった為に名前等が判読できる状態なのだそうです チョキ

でも大きすぎて憂き目にあったのが、お馴染み大國魂神社の奉納額。

そ、試衛館の天然理心流の額ですね。

なんでも3.3×6.3メートルもあったのですって 叫び

で、新政府軍が来た時に、隠すことができなくて、処分してしまったらしい、です。

(小島館長のお話より)

 

え?ちょっと待って? って思った?

 

そう、このパネルには周助さんや勇さんのお名前がありません。

それというのも、天然理心流二代目の三助さんは急死してして、後継者が決められていなかったのです。

で、三代目を名乗った人が何人かいるのですね 目

この額では増田蔵六さんが筆頭になっています。

 

さて、この後はいよいよ資料館である場所へと移動。

ひとまず、ここまで。

 

   2014年卯月26日  汐海 珠里