151年前の本日は、文久3年2月23日で、新選組の前身「浪士隊」が入京した日でしたね
それから1年。
150年前の本日は、元治元年3月5日です。
ちなみに今日は旧暦3月11日。
もうホントにややこしい 旧暦は難しいです
この日、勇さん、歳様、源さん、総ちゃん、平助ちゃんたちが富沢さんを誘って嶋原の「木津屋清三郎」の楼にて宴会をしております
「桃花の宴」と銘打ったこのお席。
「木津屋」の名奴が揃い踏み。「桃花」とは「脂粉の花」だったのねっ
「光扇太夫、金太夫、光綾太夫、馴君及び芸妓、舞子等三十人余席上に居並ひ、祝杯巡りて芸妓は三絃、鼓、太鼓のしらへを奏し、舞子ハ錦繍の袖をひるかへす」 (旅硯九重日記)
という艶やかさ
はい、ここで「金太夫」に反応した人
その方、かなり新選組通 (笑)
島田魁さんの話として残っている言葉がありますね。
そう、勇さんが嶋原木津屋抱へ金太夫に馴染て通ったというお話。
超有名美女で二十三才だったそうですよ
この時に見染めて、「池田屋」以降羽振りが良くなってから「通った」のかも
ちなみに富沢さんは光扇太夫に惚れこんじゃったようですよ
後日、化粧道具などのプレゼントもしています
もうひとつおまけを言うと、新八さんが落籍せた「小常さん」
この方もまた木津屋のお抱え芸妓でした
この宴会、なんと夜通しだったようです。
春の夜もはや暁告る鶏の声に促されて立帰りぬ (旅硯九重日記)
ん? もしかしたら途中からはそれぞれの相方とぉ
歳様や総ちゃんが、鼻の下を伸ばした姿を書きたくない(笑)ので、今夜はこれにて
2014年卯月10日 汐海 珠里
※)この日、幕府と朝廷より長州支藩家老や吉川監物らの大坂召命の沙汰。
この問題とその前の横浜鎖港問題により、慶喜と春嶽・宗城・久光の亀裂が大きくなり、朝廷参預会議もこの日以降は開かれず(最終日出席は春嶽のみ)
9日に慶喜が参預辞職願を提出。13日には春嶽が京都守護職辞と帰国意思を伝える。結果的には、山内容堂がもともと辞意表明をしていて、 2/28 離京。
伊達宗城が3/17 御用部屋入りを辞退、 4/11 離京。
島津久光も同じく、4/18 離京。松平春嶽は3/18 守護職辞表提出の後、引き止められるが、あちらこちらに周旋の結果、4/19 離京。
そして、一橋慶喜が3/25 禁裏守衛総督・摂海防禦指揮職に就任。
松平容保が、守護職復帰を再三再四の辞退を繰り返したのちに4/22 再任承諾。
4/11に、稲葉正邦が老中任命と同時に、松平定敬に所司代交代し、「一会桑勢力」となっていくことになる。