こんばんは。

今日は振替休日で、ジムが特別プログラムだった為、お昼頃に行ったのですが、

時間を1時間間違えて早く行ってしまった 珠里です あせる

 

さて、久しぶりに、150年前の本日話題です ニコニコ

文久3年9月23日(1863・11・4)。

局長が一人体制になった「新選組」。屯所内では…

 

 

「しからば、ごめん」

局長室からそそくさと退出してきたのは、会津藩公用方の広沢であった。

部屋の中からは勇が何やらごにょごにょ言うのが聞こえたが

「ああ、よいよいそのままで」

という声を残して広沢が立ち去る。

廊下を歩いていた隊士が、慌てて腰を折るのにも目に入らぬようであった。

 

「広沢様は、何をそんなに急いでいらっしゃるのでしょうねえ」

たまたま庭の方から平助と連れだって歩いてきた総司が、面白そうに呟いた。

「ホントだ。まるで屯所(ここ)にいたら、斬られかねないという感じですね」

平助の言葉に、一歩前を歩いていた歳三が振り返った。

「ふたりとも、巡察まで新入隊の者に稽古をつけとけ」

言い捨てて、局長室に向かった。

 

「入るぞ」

言うなり歳三がからりと襖を開ける。

「歳か…」

勇がちらりと目をあげて、はあぁ、と小さな溜息をついた。

「ど、どうした、勇さん! 何かあったのか?」

芹沢の葬儀の時は、長文の弔辞を涙ながらに読み上げていた。

左之助などは「本当に局長は計画を知っていたのか?」と確認した程、哀しみの色を濃くしていた。

「ああ」

と答えながら、これが近藤勇だ、と思っていた。

本当に心からその死を悼んでいるのだ。

この真直ぐな心根を、真直ぐなままに支えていく。

そう新たに決心をしたのだった。

 

「芹沢の事か? 何か問題があったのか?」

じっと歳三の目を見ていた勇は、力なく頭を振る。

「じゃ、容保様に何か? また御具合でも悪いのか?」

「いや…」

「じゃあ、」

「帰れないんだ…」

「は?」

「東下は相ならぬと…」

 

やっと事情が呑み込めた。

勇の実兄、宮川音五郎から近藤周斎の病の便りが来ていた。

その為に勇の東下の願いを出していたのだ。

「芹沢鴨義病死致し、五十人余烏合の浪士局、近藤氏一人の総括にて、此節東下候は分崩離散の姿に相成り、一同片時も相離候儀難しき次第。と…」

「広沢様がそう言ってきたのか?」

こっくりと頷いて、勇が俯く。

「広沢様と大野様の連名で、音五郎兄に書状を送るので、よいな。と…」

「そうか…」

 

歳三は唇を噛む。

勇にとっては大切な師匠であり、義父でもある周斎だ。

上京する時にも、道場主であるのに、快く送り出してくれた。

高齢でもあり、万が一の事でもあれば、悔やむ事だろう…

「勇さん、俺がなんとかする。そりゃ勇さんの代わりなど誰にも勤まらねェが、俺と山南さんと、まぁ源さんもなんかの時に頼りになるだろうし、総司もいねぇよりましだ。一の腕は確かだから…。

それと新八と左之がいれは、新入隊士たちの面倒はみてくれるし、平助も…」

ここまで言って、ふと歳三は勇のきょとんとした顔に気が付いた。

「勇さん・・・?」

 

「おまえ、何言ってんだ はてなマーク

「えっ? だって江戸に戻りたいんだろ? そんなに長い間じゃなきゃ…」

「馬鹿者ビックリマーク 会津様が近藤でなければ駄目だというに、歳は否定するというのか?」

「いや、だって…」

「名誉な事ではないか ビックリマーク こんな嬉しいことはない」

すでに涙目になっている勇である。

「む、無論そうだが…」

「義父上もきっとお喜びのことに相違ない。以前出自の事で、講武所に士官できなかった時には、拳で畳を叩いて口惜しがってくださった。此度の事は残念ではある。が、きっとわかって下さる」

うんうん、と感涙にむせる。

「そ、そうだな…」

 

 -そっちかよっ!

 

というツッコミを入れたい歳三であったが、勇の無邪気ともいえる泣き笑いの顔を見ていると、こちらまで嬉しくなってきた。

 

 -そうだな。あんたはそうでなくっちゃ。

 

「弓道の安藤(早太郎)、柔術の松原(忠司)、槍術の谷(三十郎)、軍学の武田(観柳斎)、いろんな奴らが入ってきた。俺達はこれからだ。勇さん、会津様の期待に応えねばな!」

歳三の言葉に、勇が笑顔で応える。

 

 - その為にゃ、早いとこカタつけなきゃな。

 

歳三も笑顔になりながら、目だけは鋭く空を見つめていた。

 

 - 私はいないよりかましなだけの存在ですか、歳さん…

 

廊下で立ち聞き(?)していた総司が唇を突き出す。

 

 - 明日の朝稽古は、覚悟していて下さいよ!

 

   2013年11月4日   汐海 珠里

 

☆9/20に近藤が宮川音五郎他宛(推定)手紙を書いている。この広沢たちの書簡に同封されたものか?

近況を報告する他、冒頭(追伸?)に破損した刀を近々に送る旨が書かれている。

☆9/20付け近藤書状写しの新史料が2020/04/25に、あさくらゆう氏により発表された。(関連記事

これにより、宛先人6名(萩原多賀次郎様 寺尾安次郎様  蔭山新之丞様 佐藤彦五郎様 宮川乙五郎様 嶋崎勇三郎様)がわかった。

また「新撰浪士」の名称が使用され、「役割表」においては土方と永倉が「勘定方」を兼務していたことや、平間重助の名があることなどが挙げられる。

☆この時の周斎の「大病」は嘘ではなかったか?という見解もある(参考