シルクロードはイタリア語で "La via della seta ラ ヴィーア デッラ セータ" と言う。"via ヴィーア" は女性名詞で道 (通り) という意味で、"seta セータ" も女性名詞で意味は絹。
皆さまご存知のようにシルクロードは日本語では「絹の道」。イタリア語は直訳やな。

中国語では絲綢之路と書く。糸糸糸の集まりの路、何となくニュアンスが伝わってくるよね。

シルクロードのルートは3本あり、西安からローマまでの道がオアシス ロードと呼ばれ、3本あるルートのなかでは最初に開通した。
中国からローマまで特産物であった「絹」が運ばれ、中国には「金」がもたらされた。シルクロードと名づけられた所以である。
もちろん、絹だけでなく翡翠や瑪瑙といった宝石も運ばれ、また、野菜や果物などの食料品も行商された。

シルクロードはユーラシア大陸を東西に走る重要な交易路であった。13世期にはヴェネツィアからクビライ・カーンに会うため、元の都を訪れたマルコ・ポーロもカシュガルから敦煌までオアシス ロードを進んだ。









西安はその昔、長安と呼ばれていて、13もの王朝の都だったところ。紀元前350年から始まり2千年以上の歴史を有する中国屈指の古都である。
古代ローマ時代に栄えたイタリアの古都、ポンペイとは姉妹都市として、2007年から交流も盛んで、それぞれの政府がイタリア語と北京語の交換留学生も受け入れている。

ローマまでシルクロードの出発点であった西安の開遠門。近くには、長旅の準備を整え出発間際の商人たち、ラクダやラバや馬に跨るキャラバン隊の彫像、絲綢之路 (シルクロード) 起点群像が残されている。




キャラバン隊はイスラム圏を通過するために「通訳」を雇い、同行させた。
典型的な中国人のお顔に混ざり、1人だけターバンを巻いた鼻の高い彫りの深い顔立ちの男性がいる。
彼は北京語とウズベク語、ペルシャ語、トルコ語を話した。イタリア語はお勉強中やったらしいけど、、、(苦笑)!
トッシ〜ちゃんの同業者、マルチリンガル・ポリグロットはこの時代から既に活躍していた訳なのね。

通訳だけでなく、キャラバン隊は、盗賊から商品や身を守るための用心棒も雇い同行させていた。
(どの男性か? わかるかなぁ〜?!やっぱり彫りの深いお顔立ちの方だよ。)

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