イタリアの宝石、宝飾品の歴史は大変古く、紀元前400年頃には既に高度な金細工技術を身につけていた職人たちが、時の権力者のために指輪や腕輪を作っていた。
中央イタリア、現在のトスカーナ地方にはギリシャとフェニキアの影響を受けた古代エトルリア人が住んでいて、"Granulazione グラニュラツィオーネ" 粒金細工の技術を用いて、見事な宝飾品を残した。

ローマの宝飾作家 フォルトゥナート・カステラーニは、1830年頃から粒金細工を駆使したエトルリア様式の宝飾品を多数発表した。また、息子のアレッサンドロ・カステラーニを師と仰いだ、ナポリの宝飾作家 カルロ・ジュリアーノは、エトルリア様式にもうひとつの高度な技法、エナメル細工を施すことに成功した。

2大イタリア宝飾作家のお蔭で、1850年頃からヨーロッパの宝飾界ではエトルリア様式の宝飾品がブームとなっていった。カステラーニやジュリアーノの作品は、英国王室からも注文が入り、社交界での地位は不動となり彼らの宝飾品は高く評価された。







ロシアの宝飾作家、ピーター・カール・ファベルジェは、1846年5月30日 サンクトペテルブルクで生まれた。18歳の時にイタリアのフィレンツェを訪れ、エトルリア様式の美しいエナメル細工に心を奪われる。

ロシアの財宝として名高いインペリアル・イースターエッグの製作者 ファベルジェは、イタリアから帰国後、イースターエッグにもエトルリア様式のエナメル細工を取り入れ、ダイヤモンドやルビー、エメラルド、サファイアといった高価な貴石や真珠を丁寧に嵌め込んでいった。

ファベルジェの作品はロマノフ王朝のロシア皇帝 アレクサンドル3世や、彼の息子 ニコライ2世にも愛された。



1885年、アレクサンドル3世の命により、ファベルジェの工房は皇帝御用達に指名された。
ファベルジェが最初に作製したのは、皇帝アレクサンドル3世より依頼を受けたマリア皇后 (デンマーク皇女 マリー・ダウマー) への贈り物であった。
ファベルジェはマリア皇后のために、デンマーク王室所蔵のイースターエッグのコピーを作った。

ファベルジェが最後に作ったインペリアル・イースターエッグはスチール・ミリタリー・エッグと呼ばれるシンプルなもの。ニコライ2世が1917年ロシア革命で退位する前年の1916年に作らせたもの。


イースターエッグはキリストの復活を祝う象徴で、長いロシアの冬に終わりを告げ春の訪れを誘う縁起物でもある。卵はまた、多産、子孫繁栄、豊壌のシンボルとも言われている。

ファベルジェのインペリアル・イースターエッグは、1885年から1916年までの間に56個作られたが、その所在や所有者が不明のものも多数ある。
なかには所有者がイースターエッグの価値の高さを知らずに骨董市場で売り捌いたり、質流れなどで所有者が点々と変わる場合も多かった。


1911年、イタリアのローマで行われた国際競馬競技大会の賞品として、皇帝ニコライ2世がファベルジェに作らせたものがこれ! イタリアに因んだ形はワインの壺だ。
なお、この大会にはオーストリア (皇帝)・ハンガリー (国王) だった、フランツヨゼフ1世も賞品を用意していた。

賞品には1000ルーブル以上の経費をかけて作ってはならないというルールがあったが、ワイン壺の蓋には皇帝ニコライ2世が直々に依頼した、黄金に輝く王冠を被る双頭の鷲 (のちにロシア国章となる) の装飾がつけられた。この部分だけでも既に375ルーブルかかったという。

この作品は帝政ロシア最後の皇帝となったニコライ2世のプライドと芸術性、歴史的な価値、そして何より、イタリアとロシアの親密な関係も物語っている。




にほんブログ村 通訳・翻訳ブログ、イタリア語ブログ、マルチリンガルブログ、人気ランキング上位ランクイン、ポチッと応援宜しくね!!

にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
にほんブログ村