ルーベンスは「画家たちの王」「バロックの天才画家」と謳われ、16世紀末から17世紀にかけて活躍したベルギーの画家である。

バロック (イタリア語では Il Barocco バロッコ) という言葉は、イタリア、ウルビーノ出身の画家、ルネッサンス期からバロック初期への移行を確立させたフェデリコ・バロッチのニックネーム、"Il Baroccio イル・バロッチョ" から来ている。

1577年6月28日に生まれたルーベンスは、翌29日が聖ペテロ (イタリア語ではピエトロ) と聖パウロ (同 パオロ) の祝日だったことから、2人の聖人に肖り、Peter Paul Rubens ピーテル・パウル・ルーベンスと名付けられた。父はアントワープ出身の法律家、母はタペストリー商人の娘で作家という裕福な家庭の6番目の子供として育てられた。

13歳でラテン語やギリシャ語を話したルーベンスはドイツ語やポーランド語も操り、宮廷生活にも馴染んでいて、この時期の経験がのちの画家兼外交官という職業に役立つことになる。
21歳という若さでアントワープ画家組合の親方としても登録された。


1600年5月22日、ルーベンスは22歳の時に以前から夢みていたイタリアへ渡ることになる。
マントヴァ公、ヴィンチェンツォ・ゴンザーガに仕えながら見聞を広め、絵画制作活動に勤しんだ。

ローマ滞在中にルーベンスは、古代ローマ時代から残る彫刻やミケランジェロの古典様式理想形態美、またラファエロの調和的構図などから強い刺激をうけ、感銘し、自身の芸術的個性を急速に開花させていった。

同世代のカラヴァッジョの芸術性にも触れ、ヴェネツィア派画家、ヴェロネーゼやティントレットの華麗なる色彩や大胆な構図などにも親しみ、ティツィアーノの作品から多大なる影響をうけ、自身の作風に活かすようになっていった。

もともとラテン語を話したルーベンスは、8年間のイタリア滞在中に、イタリア語を完璧に身につけ流暢に話し、社会的にも宗教的にも高貴な人々から信頼を得て、教会の祭壇画や権力者の肖像画を描き、イタリアでの画家としての地位を確立していった。
また、署名をする際にルーベンスは好んでイタリア語名、ピエトロ・パオロ・ルーベンスと記した。

1608年10月、母重病という知らせを聞いたルーベンスは、実り多きイタリア滞在をあとにしてアントワープへ戻った。母の最期に間に合わなかった彼は、直ぐにイタリアに戻るつもりでいたが、フランドル地方を治めていたオーストリアのアウブレヒト大公と、スペイン国王フェリッペ2世の次女 イザベラ大公紀の宮廷画家に任命され、アントワープに残ることを余儀なくされる。

スペインとオランダの間で戦われていた80年戦争の休戦協定が結ばれ、1609年から1621年までアントワープの教会の再建、再装飾が盛んに行われた。


ルーベンスは、アントワープ聖母大聖堂内にイタリアから帰国後の1609年から1610年にかけて、キリスト昇架、1611年から1614年にかけて、キリスト降架の2大祭壇画を作製した。
キリストの昇架はティントレットの構図とミケランジェロの躍動感を参考にした、バロック絵画の最高峰と呼ばれていて、ベルギーにバロック芸術をもたらした最初の作品といわれている。


キリストの降架は真ん中に十字架から降ろされるキリストが描かれ、正面向かって左側の青い衣が聖母マリア、キリストの左足を支えている金髪の女性がマグダラのマリア、向かって右側の真紅の衣装が聖ヨハネ (イタリア語でサン・ジョバンニ) である。




アントワープ聖母大聖堂内にはイタリアのカララ大理石で造られた、聖母マリアと幼子イエス キリストの聖母子像がある。マリアの柔らかな微笑みとイエスの愛らしさに癒され、優美な衣装のドレープは14世紀当時の宮廷文化を反映している。
この聖母子像のレプリカが造られ、1995年 阪神大震災の復興を祈り、アントワープ市より神戸市六甲のカソリック教会に寄贈された。

十字架を持つ男はアントワープ出身の芸術家、ヤン・ファーブル (61歳) の作品。
大聖堂に訪れる全ての訪問者に神の御加護があるように祈られている。




おまけ 1:「フランダースの犬」の主人公ネロは、普段なら覆いがかけてありお金を払わないと見れない、ルーベンスのこれらの作品が、クリスマスイブの夜、特別に覆いが取り払われていて、念願叶い見ることができる。
実写映画では一度は息を引きとったネロがルーベンスのお陰で生き返り、ハッピーエンドで終わる。


おまけ 2:ルーベンスがミラノに滞在した時に感銘を受けたレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を手本に、自身の世界観で描いた「最後の晩餐」
裏切り者であるイスカリオテのユダだけがキリストに背を向けてこちらを向いている。
後世の我々がひと目みて誰が裏切り者であるかが、はっきり分かる構図となっている。
現在はミラノのブレラ美術館で所蔵されている。

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