セールスのサポート業務に戻り3ヶ月が過ぎセールスとも上手く仕事が出来るようになり、たまに早く帰れる時は一杯ビールを飲みにと誘ってくれるようになりました。また、部内の成績も次第に良くなりマネージャーからも評価を頂ける様になったのです。入社して2年が終わる頃には少し社内での私の立ち位置も出来てきた感じがありました。

しかし、ある日役員に呼ばれ日本で言う総務的仕事を指示されました。つまり、本社の各部への郵便配達や書類の配達です。殆ど新人がやらされる仕事で、各部を覚えるための業務ですが、入社3年目になろうかと言う私にその仕事が回ってきました。唖然としましたね。同期はもう既にみんな本格的にセールスなどやっていて自分のクライアントを持ってる奴もいたのに。私はサポート業務と郵便配達が仕事です。

けど、私はこれも現実と受け止めて時間調整しながら工夫してこなしていきました。そして、また、いつもの様にオーナーに呼ばれて千利休の話をさせて頂きました。けど、その日は前の晩から少し熱が出ていて詳細に千利休が語れませんでした。オーナーは色々聞いて来ますが、私の頭は体調の悪さから全くついて行けてません。

どうした?体調が悪いのか?
ノー,サー⁉️
仕事が忙しく予習が出来ていないのか?
ノー,サー⁉️

ならなぜそんなに元気がないのか?
いえ、大丈夫です。あと30分頑張りましょうと返事をしました。

そして、次の日高熱が出て頭がモウロウトする中出社していつも通り業務をしましたが、さすがに郵便配達は2階から90階まで手押し車を押しながら回らなければならずきつかったですよ。

なぜ、そんなに高熱なのに仕事してるのか?
ここはアメリカ、外資です。人種差別されてる私は会社を休む=リストラですよ。

そして、その日、あの郵便配達を命じた取締役にタイピングの仕事を命令されました。ある意味いじめの世界です。

気の遠くなる様な意識の中で、私は取締役の部屋で立っていました。そして、気がつくとそこはセントラル病院の病室でした。

ベッドの足元にタイピングの資料が置いてあり、病院に入院しても仕事が付いてくるこの現実に心が砕かれたのです。仕事は厳しいものです。生き残るためには目の前の事をやりきらなくてはなりません。

ベッドに座りタイピングを打ち始め、セールスの社員達が部屋に入って来て、トミー、もうその仕事はしなくても良い。今は早く治して会社に戻ってこい。

なぜ?これを仕上げないと僕はクビなんだよ。
no problem、マネージャーがトミーの代わりにタイピングを全て済ませたみたいだよ。もう直ぐ来るよ。

僕は涙が止まらなかったですよ。人種差別されて、人間以下に扱われて来た3年。早く人になりたい。涙は人が流すものと我慢して来た3年です。

誰が悪い訳でもなく、生まれた国が日本。ただそれだけなのに奴隷の様に毎日下を向いて生きて来た。何も望まない。ただ人並みに仕事が出来る人になりたい。

マネージャーが部屋に入って来られて、トミー、お前は既にスタートを切った訳でNo.1を目指し始めている。その為にな忍耐が必要だ。

私は2日で回復し会社に戻りまた同じ事をやり続けました。そして、私の人生を左右する事件が起きるのです。