原作者が自殺した事件以降、脚本家を下げて原作者を上げる傾向があるように見える。
事故後の日本テレビや当該脚本家の言動はいかがなものかと思うが、全ての原作者と脚本家の関係に当てはまるとは思わない。
原作者は自分の作品に思い入れがある。
一人一人の登場人物を自分の分身のように思うこともあるだろう。
思いが強ければ、映画化やドラマ化を認めてはいけない。
ドラマや映画は多くの人に見られるように作られる。
時間の問題、視聴対処の問題、出資者の意向、などなど。
原作者とは全く異なる判断があり得る。
脚本家が原作者をないがしろにして良いとは思わないが、脚本家が尊重すべきなのは原作者ではなく原作そのものである。
役者も同じだ。
役者の誰かが原作者には興味がない、という趣旨の発現をしたと非難されていたが、この役者の発言は正しい。彼は原作を尊重しないと発言した訳ではない。
僕は、「巨人の星」も「あしたのジョー」も大好きだが、梶原一騎には興味はない。
むしろ、梶原一騎の存在を背景から消して漫画を読みたい。
原作と原作者は分けて考えるべきだ。
脚本家は自分が脚本を書いていることを意識すべきだ。自分がオリジナルの作家であるなどと錯覚してはいけない。勿論、オリジナル脚本は別になる。
一方、映像化に口を挟みすぎる原作者も問題だ。