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奈良さん:自画像

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奈良美智さんのブログを見に行ったら、アメリカのメディアからのインタビューに答えた問答集が、奈良さんの心の声とともに紹介されていた。
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Much has been made about your art being about your own unhappy childhood; you have said they are largely self-portraits. Why are your subjects primarily girls?
作品は不幸せであった幼少時代を表しているものだという話は良く聞きます。作品の大体は自画像だ、と奈良さんはおっしゃいましたね。なぜほとんどの被写体は女の子なのですか?

まず、僕の子ども時代が不幸だったと自分自身で思ったことはありません。ひとり遊びが得意で、動物たちとも話が出来、空想力や想像力に富んでいたと思います。大人の眼には寂しそうに映っても、その被写体が寂しいと感じているかどうかは疑わしいものです。僕がよく言うのは「他者から見れば、孤独に映るような子ども時代」であって、自分にとっては、毎日友だちと遊ぶよりも、必然的に内なる自分と会話し、感性を育んだ子ども時代です。また、方法論ではなく感性に沿って生み出される作品はすべて自画像といえるのではないでしょうか?人は見かけで物事を判断しようとする傾向があります。そのような人には描かれているものが「女の子」に見えるのでしょう。僕自身は、女の子を描いている意識はないし、男の子でもなく動物でもない。あえて(僕の嫌いな)カテゴライズすれば、「中性的であるところの子ども」と言えます。つまり、僕は「女の子を描こう!」と思って作画したことはありません。

(んなこと、ど~でもいいだろ~。自画像が女の子だと変なのか?心の自画像だってばぁ~。似てないと自画像って言っちゃダメなんかよう?)
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自画像。
中性的。

なるほど。