その情報は、情報価値がないから流通しない−2 | 福田敏也 オフィシャルブログ PEACE! Powered by Ameba

その情報は、情報価値がないから流通しない−2

「その情報は、情報価値がないから流通しない」
というテーマで書き始めたら
なにやらいろいろ書きたくなって
止まらなくなってきました。
このエントリーは、その第3回の内容です。
ーーーーー

僕たちが博報堂に入社した80年代前半は
コピーライターブームの時代であり
広告が単なる宣伝ではなく
時代発信、文化発信的位置づけで語られている時代でした。
その頃の糸井さんや中畑さん秋山さん土屋さんなどの
スターコピーライターは、
時の先端を行く人であり、
時代的インテリであり、
文化人であり。
多くのエージェンシー入社希望社は
そうした姿に憧れて面接を受け
広告会社に入っていったのです。
その時代に書かれたコピーは
今もくっきりと頭に刻まれています。
心の底から広告ってすげーなあって思ってた時代でした。

その時代はCMもパワフルでした。
サントリーのランボーとかパイオニアのロンサムカーボーイとか
パルコのかっこいいCMとか。
発信される映像も、世界も、コトバも、
いろんなものが新鮮であり、かつカッコ良く、
僕らの心にグサリグサリと刺さっていました。
あの時代の広告への憧れが
今の自分の志を下支えしてると言えるぐらい
大きな影響を与えていました。

その時代の広告は情報価値が高かったんだと思います。
その時代のコピーもグラフィックもCMも
コンテンツとしての情報価値が高かった。
だから、それは時代的に目立ち注目され
大きな力をもつものとなっていた。

世の中は右肩上がりで
みんな自分の暮らしがより良くなっていく予感とともに
広告に触れ、そこに夢を見。
広告は夢の水先案内人であり
ちょっと先を教えてくれる予言者でもあった。
CMが紹介するニューヨークの生活
中国カシュガル地方の人々
最先端の遊び、
そうしたものすべてが
20代の僕たちには
超フレッシュなコンテンツだった。

今、同じことをしても
それほど情報価値は高まらない。
なぜなら、
世は情報にあふれ
広告が紹介するまでもなく
世界の隅の隅のことまで
インターネットが教えてくれるから。
時代は多様化し、
シンプルな一本筋で新しさが語れない時代になったから。
消費社会が成熟し、
消費に憧れることも明日の暮らしに夢見ることも
少なくなったから。

だからこそ、広告は、
今の時代的情報価値を考えなくちゃいけない。
昔の広告は良かった、
なんて言ってる場合じゃないんです。
それときちんと向き合っていくことが
シンプルに求められている、と思うんです。

(つづく)