昭和30年代の週刊誌 | 福田敏也 オフィシャルブログ PEACE! Powered by Ameba

昭和30年代の週刊誌

福田敏也 オフィシャルブログ PEACE! Powered by Ameba-考えるヒント

昭和30年代に書かれた
小林秀雄さんの「考えるヒント」。
この年になって読みたくなって読んでみたら、
こんな一節にぶちあたった。

ーーー考えるヒントからーーー
先日も、ある週刊雑誌の記者が、週刊誌ブームについて論じて欲しいと言って来た。(中略)「週刊誌ブームについて意見が聞きたい」「週刊誌は、今、幾つぐらい出ているのですか」「五十ぐらいはあるでしょう」「なんだ、それぼっちか。二百ぐらいになるといいと思う」「マス・コミによる文学の質の低下というものをどう考えるか」「質は、逆に向上すると思う。電気洗濯機をみたまえ」「冗談はやめてもらいましょう」「僕は、真面目に聞いているのだ。君は、何故ジャーナリストとして、そんな風に、読者というものを見下しているのですか」「僕は、文学者としての貴方の意見を聞いているだけです」「無論、そうでしょう。私は、話をはぐらかしてはいない。文学者だって、文学の進歩が考えられる限り、売り込み競争が烈しくなればなるほど、品質もよくなると考えるべきだと思うのです。それとも、文学を向上させる、何か他に名案でもあるというのか。野球選手は何によって向上したのだ」
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かつて、週刊誌がでてきたころ、
それは、文学に対してのカウンターとして存在した。
文学を脅かす存在として出現した。
でも、
それが栄えることが
文学を栄えさせる源になる。
そう考えないと、文学は栄えない。

雑誌ビジネスが、苦境にたっている昨今。
過去のこの公式は、
あらためて考えてみる価値はあるのでは。

ネットが出現し、それは、
雑誌に対してのカウンターとして機能した。
でも、ネットが栄えることが
雑誌を栄えさえる源になる・・・

そのポイントは、時代的リアリティのあり方を
どう考えるのかというところにある気がする。

雑誌は、時代的リアリティをどう考えるのか。
時代的リアリティとどうつきあうのか。

ごめん。概念的で。
まだ、ちゃんと自分の中で整理されてない。
きちんとした答えにはなってない。
ごめん。

考えるヒント (文春文庫)