生きる事は尊い。
ひとりの命を救う為に
多くの人の善意が集められる事も心を打つ。
でも、どのような生き方をすると、
それは最も命を大切にしているかについて
もっと議論されそれぞれ考えるべきだ。
有名な医者が、命とは時間です。
とハッキリと仰った。
その時は、よく分からなかったけど、
最近はその事がよく分かる様になって来た。
命の時間こそがLIFE
人生なのだ。
どんな風に自分の時間を使うのか?
何の為に時間を使うのか?
本当に自分にとって価値があると
思える事に時間を使うべきだと最近つくづく思う。
僕にとっては、
誰かの為に主の御声を聞いて
伝える事に最も生き甲斐を感じる瞬間だ。
御声を聞き分けながら旅をする時は、
最もエキサイティングな経験でもある。
地上にいながら天と繋がる瞬間。
永遠の命の中にいる事を実感する体験だ。
肉体の命には、境界線があり、制限があり、限界がある。
しかし霊の中にある命に目覚めるとそれとは違う感覚も開かれて来るのだ。
普段、私たちは、地上から天を見ていて、この世の価値基準や経験から永遠や天国を推し量ろうとする。
ところが、主と一瞬でも一つとなる習慣を体得する様になると天から地上の事を見る事が出来る様になるのだ。
だからこそ、聖書は、
世もこの世の富をも愛してはなりません。
ヨハネの手紙 第一 1:15
と述べている。
勘違いしてはいけないのは、
聖書は、地上の人生を「世」と言っているのではない。
「神の国とその義、聖霊の喜び」を抜きに誰かが作って来た「虚構の社会システムと不公平な通貨システムと自分を高くあげる事をステータスとする価値観」を聖書は「世」と言っていると私は理解している。
だからこそ、
この地上に神の国を築かなければならないのだ。
「主よ御国を来らせたまえ!」
