今回の記事は

「僕」で書くとちょっとややこしいとこがあるので

「私」で書きます。

 

 

私の実家は天台宗のお寺です。

 

でも 住職だった私の父は

お寺を継ぎたくて継いだわけではなく

成り行きで継がざるを得なくて継いだ感じで

 

宗教的なことを考えて住職になった

というのとはちょっと違ったんじゃないかと思います。

 

小学校の教師をしていましたので

そちらが本職な感じでもありました。

 

 

お寺と言ったら

お葬式をするところ

法事をするところ という感じで

 

私は 自分の家が寺だということに

宗教的な意味合いのことは

あまり感じていませんでした。

 

どちらかというと職業的に寺をやっている。

 

そんなんでいいのか よくわかりませんが

多分 父の亡き後を継いでいる人も

似たような感じのように思います。

 

 

寺社巡りなどで訪ねてみると

いつも 法衣を来たお坊さんがいるような

そういうお寺はどうだかわかりませんが

 

うちの父は法事の時以外は洋服でしたし

頭も剃っていませんでした。

(年をとってから剃りました)

 

結構 日本のお寺というのは

職業的にやっているところが多いんじゃないかと

勝手に思っています。

 

 

私は三姉妹の次女でして

家に男の子がいなかったせいか

寺を継ぐとか継がないとかいう話は

私達が結婚する前には全く出ませんでした。

 

私も 姉も 妹も 

自分が寺を継ぐとは考えなかったと思います。

 

多分 お坊さんに 

男性のイメージがあったからでしょう。

 

成人してから 

女性のお坊さんもいる ということを知って

ちょっとは考えるようになったのですが

 

私が 統一教会に入ったのもあって

後継者からは外されたようなところがありました。

 

 

うちの父は 一応 毎朝

本堂でお経をあげておりました。

 

「門前の小僧習わぬ経を読む」 と言いますが

私はお経は覚えませんでしたし

 

お経って何? 

何のためにお経あげてるの? 

とか 考えませんでした。

 

本当に 何も考えない

ただただ天真爛漫な子供だったなと思います。

 

 

高校生の頃ぐらいから

人は何のために生きているのか 

みたいなことは考えるようになった

というか 

そういうことを

友達と語り合うのが好きだったのですが

 

そんなことを考えるのと

宗教とは 別物だったと思います。

 

 

そして 統一教会に入って

25年経って離教して

 

その間もずっと

私の仏教に対するイメージは

職業であって 宗教ではなかったような気がします。

 

 

あとは だいたい

どこの家でもどこかの宗派に属してるので

家の銘柄みたいなもの?

 

天台宗 真言宗 曹洞宗 臨済宗

何が違うの?

 

宗派によって

お葬式や法事のやり方が違うかもしれませんが

それぐらいであって

 

教えがどうとか

大抵の人は考えてないんじゃないかと

思っていました。

 

 

 

続きます

 

 

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