霊界に行ったら……
ここでは 死んだら の意味だけど
今は 心の中だけで思っていて
人にはわからない 思い 感情 なんかが
全部 周りの人達に
口にしなくても 伝わるようになる
の かな?
と 僕は 以前から思っていた。 (実際はどうだか知らない)
それから
死んだら 自分の人生が
ビデオテープのようにして 映画みたいに目の前に展開して
たくさんの人から見られる
なんてことを 時々聞いた。
それは 統一教会の中だけに限らず
他でも そんなふうに聞いた覚えがあるんだけど。
僕は それって すっっごく 嫌だ と 思っていた。
何故ならば 僕は とても見栄っ張りで
教会でいうところの
“表面アベル” (表面上いい人を装っていて内面で裁いたりしている)
そのものの自分だったから……
要するに 見た目はいい子ちゃんだけど
中身は……
誰もいない自分だけのところでは
色々 悪いものを抱えた自分だったから ということだ。
裏表のある 腹黒い人間なんだよね。
それを人に見られるなんて……
恥ずかしいというか 穴があったら入りたいというか
まあ 過去は仕方ないとして
今は 本当にいい人になったんだから いいでしょ
と言えるように
中身も 綺麗な人に なっとかないといけない
と 思いつつ
なかなか できず
せめて こういうことは しないようにしよう
これだけは 見られたら恥ずかしい
などと……
そういうことって みんなは 思わないのかなぁ?
僕が 特別 見栄っ張りだからかなぁ?
とにかく
以前の 僕は よく 思ってたんだ。
今は
それが なくなった。
なくなったというか どうでもよくなった。
いいじゃん 別に…… これが 僕なんだから。
取り繕ったって 仕方ない。
結局 人の目を気にして
よく見せようとしてる自分が アホらしくなった
というところかな?
自分も人と一緒になって 自分の人生の映画を見ながら
こいつ 馬鹿だー って
思ってればいいじゃん っていうような
開きなおり なのかなぁ
そんな気持ちに いつのまにか なったんだよね。
たぶん いいことだと思う。
そのままの さえない自分も受け入れる
その一環だよね。
できるだけ 向上しようという気持ちを
なくすわけではないけれど
今の自分も これはこれでいい
このまま 永久に 今 が続くとしても
今の自分を 受け入れてあげよう
それでいいかな と 思った。
それがとても
自分自身が 楽になれることだった。
そりゃあ
「あんた いい人だと思ってたのに
内面はこんなんだったの?
陰でこんなことする人だったの? 」
と 言われれば 恥ずかしいのはあるけど
その恥ずかしささえも
楽しめばいいのかな という感じ……
そう思えるようになって
よかった と 今は思ってる。