たとえば、集団的自衛権って英語でどう言うんだ?
答えは、right to collective defense だそうです。
おお。確かに「集団的自衛の権利」になってるわ。

じゃあ、特定秘密保護法は?
secrecy law かー。

なるほどねー。
特にオチなし。
英語を再勉強しはじめて1年と3ヶ月くらいなのですが、
最初に感じていた「この長文マジで読むの?」という、
うんざり感が少なくなってきています。
けっこうカジュアルな気持ちで取り組めるようになりました。

インターネットで見かける英文記事に、
以前はスルーして翻訳を探したものですが、
「ま、読んでやっか」という気持ちにもなります。

なにがこれに貢献してるんでしょうね?
繰り返して覚えた単語の数?
我慢して読んだ英文の量?
立ち戻って確認した文法?
意識的に音読したこと?

振り返ってみると、全部それなりに効いていて、
それぞれが結びついて補完しあってるような気がします。
まだまだ勉強途中ですが、たまに昔を思い出すと、
「おー、けっこう高いとこまで登ったなー」って思って、
自分の自信につながったりするもんですね。
「やればできるじゃん、俺!」みたいなねw

お互い頑張りましょう。
日本語の単語よりも、英語の単語のほうが、先に出てくる場合がある。
いわゆる、ルー大柴が使う「ルー語」ってのに、共感がわくね。
って、まさに今「共感」って単語を使おうとしたとき、
先に「sympathy」のほうがでてきた。
英語にずっと触れてると、日本語の単語と同水準で英語の単語が思い浮かんだりする。
逆輸入じゃないけど、逆翻訳して日本語に直して発言するっってことが出てくる。
語学ってのは、やればやるほど、おそらく、脳内がごっちゃになっちゃう気がするよ。
てか、日本語だけに特化している日本人の脳の方がイレギュラーなケースだろうな。
ナガノアヤコさんのブログ記事から思ったことを書く。

私の英語コンプレックス

わかる!


英会話を含めた英語をはじめたとき、「そもそも日本語が不自由」ってよく思わされました(いや今もだけど)。僕の方向性としてはとりあえず、「英語用に新しい人格を作るしかない」くらいに今の段階では思っています。たとえば、いわゆる英会話で一番最初にやらされる自己紹介だけど、日本においてはあんな風に自己紹介ではじまるつきあいなんてレアケースで、日本語でやってもしどろもどろになったりするわけですわ。その、しどろもどろは、英語が出来ないせいなのか、そもそも話す内容がまとまっていないせいなのか、実は後者の方が大部分の理由だったりする。だったらもう、整理してまとめておくしかないよね、って感じです。

英語圏での評価は、会話であれレポートであれ「どれだけそのフォーマットに沿えるか」ということなんじゃないかと(今のレベルだからかもしれないけれど)思っていて、「それはつまらんなあ」と思うところが本音ではあります。英語用のフォーマットを作るってのは、新しい人格を規定して、その人格のするであろう行動をする、というようなこと。そういうロールプレイのようなプロセスを踏むことによって、「英会話ができる人」になれるんじゃないかと。人というのはもっとわりきれてなくて、いろんな好き嫌いが入り交じっていて「I like ~」とか簡単に言えないものなんじゃないかなんて、グルグル考えるタイプだと、「英会話」っていつまでたっても上手にならないような気がします。「I like ~ なのだ」と規定してそれに従う、ってことが「英会話」のコツじゃないかな、と(今のところ)。
いわゆる「英会話」って、実はその程度のものなんじゃないか、と思っているので、ワンオブゼムだよね。英語を学び習得することによって、日本の、もしくは日本人の側面が見えてくるとか、地理風土社会制度にまで敷衍して考えることが出来るとか、そういうほうが外国語を学ぶことの本義だし有益性なんじゃないかなあ、などと個人的には思ったりするのです。

最近サボりがちでしたが、DMM英会話入ってます。
さっき、久しぶりにレッスンを受けました。
「大切なのは継続だなあ」と久しぶりに喋ろうとすると思うのです。
というのも、サボってると全然喋れなくなるのよね。

練習をしなければ出来るようにならないものは、
言葉で「こうすれば出来る」というふうに言い表せないもので、
伝達できる情報として整理できないのだよなあ。

たとえば、バットでボールを打てるかどうか。
たとえば、楽器が弾けるかどうか。
たとえば、自転車に乗れるかどうか。

うん、自転車が良い例かもしれない。
「右に倒れそうになったら右にハンドルを切って…」
なんて考えてなくて、その前に体が動き、
倒れないようにできるわけで。

英語もおそらく一緒で、もちろん言葉のルールは理解し、
覚えなくてはならないのだけれど、特に会話となると、
自転車に乗るときに勝手に体が動くのと同じように、
どこか自分が表面的に意識出来ない脳の一部を、
無意識に働かせるように練習するのが大切と思う。

自分のペースで読んでよいシチュエーションなら、
勉強というべきようなものかもしれないけれど、
スピードが要求される場合は、どちらかといえば、
スポーツというべきものかもしれないなと。

「英語はスポーツ」的な側面は、やっぱあるよね。
ホント、練習しないと出来なくなりますわ。