二幕目は
番町皿屋敷
怪談?
ではないようです。
ということでググってみると、
【あらすじ(歌舞伎への誘い)】
1916年[大正5年]に初演された岡本綺堂(おかもときどう)作の「新歌舞伎」の代表作の1つです。
町奴との喧嘩に明け暮れる旗本の青山播磨(あおやまはりま)は、相思相愛の腰元のお菊(おきく)が家宝の皿を割ることで、自分の愛情を試したことを知ります。疑われたことを恥じた播磨は、お菊を切り殺して井戸に投げ捨てるというストーリーです。
歌舞伎には、元々『播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)』という怪談劇があります。この作品には、青山鉄山(あおやまてっさん)がお菊という腰元を吊るし切りにして、井戸に投げ捨てるという場面があります。『番町皿屋敷』は、この作品の趣向を生かした上で、近代的な恋愛をテーマとして書き替えた点に特長があります。
怪談の「番長皿屋敷」もあるけど、岡本綺堂の本作は怪談要素は全くなし。
舞台は赤坂山王神社の桜見物。
山王神社は当時の山の手第一の花見所らしいです。規模からするとそんなに大きくないので他になかったのかな?とも思いますが、神社裏手(上手)に三宅坂~永田町、番町へと大名屋敷が立ち並び、赤坂花街のお膝元ですからそういった土地柄も大きく影響しているのでしょうか。
花見に遊ぶ白柄組の旗本青山播磨(待ってました隼人くん!)は、町奴の放駒(橋之助くん)と居合わせます。この町奴は幡随長兵衛の子分です。一昨年に『極付幡随長兵衛』が浅草歌舞伎で上演されましたが、浅草に縁のある幡随長兵衛縁の子分も今回出ていて嬉しい限りです。
当然喧嘩になりそうになり、そこに叔母の真弓が登場。そんな下らない喧嘩などしている場合ではないとたしなめ、これも独身だからと飯田町大久保屋敷のお嬢様との縁談を勧めます。まぁこういう方が釣り合いの取れる結婚相手ということなのでしょう。叔母真弓役はお父様の錦之助さま、播磨が叔母に向かって「あの叔母様は苦手だ」というのはそのまま隼人が父に向かってぼやいてるようで笑いを誘う愛嬌ある場面です。
番町青山屋敷では白柄組総領旗本水野十郎衛門を迎えるため、家宝のお皿を改めています。当時、高麗焼(青磁器)は日本に技術が無かったため全て輸入品。だから物凄い高級品で、家来の命より高価なのは当然。
そのお皿を扱いながら、播磨の恋人の腰元お菊は播磨の気持ちを量りかねてウジウジ悩んでいます。身分違いの恋ですからね。現代だって相手の家柄や学歴が自分と釣り合わないで自信が無い女性はいっぱいいるでしょう。その上、播磨や隼人扮するルックスです。家柄の良い縁談は引く手あまたでしょう。
まぁでも、そのお皿はすんごい品な訳ですよ。その皿を扱えるってことだけでも、家の中でもすごい信用ある立場ってことですしね。もし私だったらすんごい緊張して、恋愛のことを考えるヒマもないだろうなとか思います。キズ一つ、自分の手脂だってつけられない!って。そこを緊張感なくウジウジだらだらお皿を眺めてるお菊は若干イラっときます(笑)。でもこれ、今の自分が既婚の年増だからであって、20年前の若くて自信のない恋の真っ最中だったら違うんだろうなぁ。
そして、自分と家宝の皿とどっちが大事か試してみようと馬鹿なことを思いつきます。あろうことかわざと皿を割るところを同僚に見られているとも気づかずに。
皿を割ったことの成敗の場面。
古参の家来は例え故意ではないとしても、そんな家宝を不注意で割ってしまうこと自体とんでもないことだと叱責します。そこへ先ほどの目撃女中が過失ではない!故意だ!と告白しお菊の所業がバレてしまいます。青山播磨は怒り心頭、お菊の頭を畳に押し付け、足で押さえつけます。今ならDVですが、時代劇っぽい絵です。そんな時でも別の家来が、例えわざとだったとしても皿1枚ごときで人の命が奪われるべきではないと播磨に訴えます。ここ、凄く良いシーンです。だってもしかしたら庇った自分だって殺されてしまうかもしれないし、お皿の価値だって十分わかって言ってるんですよ。お菊は実はすごい人望があってこの家来はお菊と播磨の仲やお菊の気持ちをわかってるのかなとか、播磨がそんな情のない主人ではないと信じて訴えたのかなとか色々想像させられます。
でも怒りの収まらない播磨がお菊に残った皿を数えろといって残りの皿を出させる場面がゾッとするんです。1枚1枚出すごとに播磨自ら割っていくんですからね。5枚1セットになっているとはいえ、その日のお客様数=必要枚数は9枚(別のもう1セットは無事)だから1枚欠けてもとりあえずなんとか間に合うんです。超超高価なお皿ですよ~それだけ播磨の怒りは強いんです。
でも播磨の気持ち、わかるな~って感じました。身分違いなんて承知の上でそれでも吉原にも行かず(笑)、お菊一筋だったのにその自分の気持ちが試されたなんて![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
しかもその試し方も卑怯っちゃ卑怯ですよね。
この播磨の役、難しい役ですよ。
この播磨、皿ごときで腹がたったのではない。自分の気持ちが疑われたこと自体が赦せないのだ。
って、観客にちゃんと伝わるように演技するって難しいと思います。下手すると恋人だからと家来腰元に見くびられた(自分だったら許して貰えるというお菊の奢りとも言えるのぼせ)ことに対する成敗ともとられかねません。
隼人くん!上手でした。恋人に試された悔しさともうこの世では一緒になれないと分かった無念さ、そしてどうしてこんな馬鹿なことをしたんだという虚しさでお菊を斬るんですが、気持ちがよく伝わってきます。
ある解説によると、お菊はここで恋人播磨の偽り無い気持ちを知り、満足して死んでいったとあります。
岡本綺堂は青山播磨や皿屋敷伝説の悪いイメージを払拭するためにもこういった脚本にしたのかな。この二人、実は良い恋人同士で悲恋の末に亡くなったという美談にしたかったのかなという印象を持ちますね。
でも一方で、
えーっそうなの?お菊がそこまでして一緒になりたかった播磨でしょ?自分の健気な乙女心をわかってくれなかった悲しさやしてしまった過ちに対する後悔、それにこれで播磨は大久保のお嬢様と間違いなく結婚するでしょう。やはり自分は亡き者になった方が良いと思われた末の手打ちなのかとか。
しかも怪談さながら、
お菊の亡骸は井戸に投げ込まれたんです
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/020.png)
。
やっぱり怪談につながるのでは・・・
なかなか面白いお話でした。
それにやはりなんといっても、隼人くんのカッコよさと演技のうまさが最最高です!