“分断社会“というワードをよく耳にするようになりましたが、昨日も言ったように、元々白黒はっきりつけたがる(今も?)私にとっては自戒の念をもって教訓としたいところであります。

昨日、コロナワクチンを打つ、打たないという話で友人が近しい人と仲違いを起こしたという話を聞いて、この“分断社会“というワードを改めて意識しました。

仲間に分断が起きているのを目にするのはとても辛いことです。

正解の分からない事を議論して白黒つけたところで、自己満足にしかなり得ないのですが、どうしても白黒つけたがる人がいる限り、自分のやりたい事や行動を我慢せざるを得ないシチュエーションが、特にこの一年半多くありました。

先述の通り、私もそういう考えであったので、いろんな所に火の粉を飛ばしていたように思いますが、そもそも

【コロナワクチンを打たない=コロナに感染する】と、
【コロナワクチンを打つ=副反応により体を壊す】は、相反しないはずで、どちらの選択肢を選んだとしても“被害者“になってしまう人はいると思うんですね。だから迷っても意味がない。
どちらかといえば、コロナが重症化しやすい人とワクチンの副反応の影響を受けやすい人は、体の弱い人と考えるのが自然で、ワクチンを打っていれば…とか、ワクチンを打たなければ…という後悔には繋がらないのでないかと思っています。正解があるとすれば免疫力を高める生活をすることに他ならないでしょう。

こうした事に気づいてからは、極度に影響を及ぼしたがる人について対応してしまうことも減って、自分の欲求が満たされなくても平生を保てるようになりました。


正解のない正解を導き出そうとすると、時間を無駄にしたり、不必要に人間関係を悪くしたりしてしまい、泥沼にハマってしまいます。私自身は他にやりたい事が多いので、そこに時間や人間関係を割く事は出来ません。


こうした分断社会の中で、信じるべきは自分自身なんじゃないかなぁと思います。他の人の意見を聞くことも、自分への信頼の裏返しだと考えます。
先日、ある方のフェイスブックにこのような寄稿があったので転載させて頂きます。

“若い頃、目の前の問題を必死に解決しようとしても、人生は好転しませんでした。

でも、問題が伝えようとしているメッセージや、根本的な原因を感じ見つめて、その問題が二度と起きないよう
「自分を変えられた時」に、はじめて人生が好転し、次のステージに進むことが出来ました。

それ以来なにか起きても「問題」にフォーカスするのではなく、それを引き起こしている「自分」にフォーカスするようにしてます。“


私自身も、目先のことに囚われずに、次のステージに臨むべく自分との対話を継続していきたいと思います。

ストレスの罠から中々出られない事や、心につっかえている過去もまだまだありますが、今の自分に出来ることは一つひとつの行動をグッドインパクトに変えていくことなので、明日からもそこに徹していきたいと思います。