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<町指定文化財>
 享保17年(1732年)ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、 庶民は飢えに苦しんだ。ことに周防の国は悲惨で備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかった。 この時の幾百人の餓死者を弔うための供養塔である。
※上記HPより引用








1732年は日本史でも習う『享保の大飢饉』。江戸四大飢饉の一つです。

西日本一帯で前年からの悪天候、更に二ヶ月続いた梅雨の長雨に冷夏が重なり、ウンカが大発生して瀬戸内海沿岸が特に甚大な被害を受けたそうです。


享保の大飢饉 - Wikipedia


そんな中、特にこの周辺、周防の国はトビイロウンカという虫が大量に稲につき、壊滅的な状態であったようです。(長州藩、周防藩では『享保の虫枯れ』とも呼ばれたそう。)
ウンカについては、大雨が降れば虫が流されるといった情報もあったようで、これを信じて注油(現在でいう農薬のようなもの?)を行わなかった地域や、これを虫の知らせでしっかり行なって被害が少なかった地域など、西日本中心の飢饉でしたが、様々な事例があったようです。


また、西日本を救うために米を供出した江戸幕府ですがそのせいで江戸のお米の値段が5倍程度になり、農民によって商家が壊されるなどの暴動も起きたようです。

この時、飢えに備えるために関東地方にサツマイモの栽培を推進、普及させたのが青木昆陽。
このお陰で、1833年ごろから長く続いた天保の大飢饉においてこのサツマイモが人々を飢えから救ったとも言われているそうです。




今はあまりこうした心配が無い世の中に生かしていただいている事、感謝せねばなりません。
当時の事に思いを馳せると、鳥肌が立つような思い。今の生活がいかに恵まれているか、
今日の日が実現されるために、これまでの期間にどれだけの方々のご苦労、ご熱心があったのかと思います。

私も、明日の田布施のために何か小さなものでも価値を残せるように努力していきたいと強く思うと共に、今日の食事を大切にいただきました。