北比良山系の秋のススキは、いかにも物思いにふけるために生えいるような顔をしている。風が吹けば、いっせいにさわさわと頭を下げ、そのたびに「まあまあ、そう気を落とさんと」と慰めてくるようでもある。比良の山並みは昔から近江の風景を形づくってきた山系で、秋には全山が紅葉に染まり、季節の深まりをしみじみ感じさせるという。そんな土地でススキを眺めていると、人は少々、自分の来し方まで振り返りたくなる。

古希を迎えた私は、世間で言えば立派な高齢者である。しかも神経難病ときた。若い頃なら、ずいぶん気の毒な響きに聞こえたかもしれない。ところが、いざ当人になってみると、人生というものは案外おかしなもので、深刻さ一辺倒では進まない。足取りが少々あやしくても、茶碗を落としそうになっても、「おっと、今日も神経が自由演技をしておるな」と一人で苦笑いしている。難病と共存するとは、闘うことばかりではなく、時にはうまく笑いながら同じ屋根の下で暮らすことでもあるらしい。

私は長らく小児科の開業医として、子どもたちの泣き顔と笑い顔の両方を山ほど見てきた。聴診器を当てながら泣かれ、注射をすればにらまれ、治ればけろりと忘れられる。その潔さが子どもの良さであり、医者としては少々くやしくもある。こちらは何十年も真面目に診てきたのに、最後の評価が「あのおじいちゃん先生、キャラクターシールをくれた人」だったりする。しかし考えてみれば、それは名医の称号より悪くない。

今の私は、以前のように先々まで大きな計画を立てることが減った。その代わり、一日一日の変化が実におもしろい。今日は指がよく動く、明日は動かぬ。昨日は少し落ち込んだが、今朝は庭の光が妙にきれいだ。人は元気なうちは、明日を当然のように思って雑に扱いがちだが、病気はその明日を一日ずつ手渡しにしてくれる。受け取るたび、少しありがたい。

北比良のススキは、風に揺れながら倒れない。しなって、戻る。その姿はどこか老医である小生の余生にも似ている。哀愁はある。だが、哀愁だけでは終わらない。診察室を出たあとの人生にも、ちゃんと秋の光は射す。私は今日も、昨日と少し違う自分を面白がりながら生きている。古希とは、枯れる年齢ではない。ようやく風情が出てくる年齢なのである。