七十歳、小児科医。といっても、いまは診察室よりリハビリ室に通う日の方が多い。四十歳で病院勤務医をやめ、念願だった生まれ故郷で開業したとき、まさか三十年後に自分が患者側の常連になるとは思いもしなかった。人生、カルテどおりには進まない。
休診にして初めて気づいたのは、診療所の裏に広がる田畑の、意外な多弁さだ。稲は季節ごとに背丈を変え、畦道の雑草は診療報酬改定よりはるかに速いスピードで勢力図を書き換えていく。山は黙っているようでいて、朝夕の色合いで「きょうも生き延びたな」とさりげなく判定を下してくる。
これまでの私は、「目標=診療」だった。熱の子、咳の子、心配そうな親の顔。その波に飲み込まれているうちは、老いも疲れも診察券の裏側に押し込んでおけた。ところが体調を崩して休んでみると、急に時間があふれ出した。さて、この余った時間をどう料理するか。
医師らしく考えてみる。人生七十年検診。主訴は「これから何を目標に生きるか分からない」。所見、働きすぎた心身に加え、趣味と遊びの栄養失調。診断、「まじめ過多による人生バランス障害」。治療方針はどうするか。薬ではなく、まずは「好きなことをすることと、リハビリ」を開始する。
見慣れた山を毎日少し違う角度から眺める散歩。畑の季節の変化を、かつて子どもの成長を追ったまなざしで観察すること。長年の診療で培った「人の話を聴く力」を、家族や地域やリハビリに通う人とのおしゃべりに転用してみること。
目標は、もう大それたものでなくてよい。「きょう一日、誰か一人と話をして、笑い合う」。それが達成できれば、その日は合格だ。カルテには書かれない小さな合格印を、山と田畑に囲まれたこの町で、こっそり集めていこうと思う。
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