自分自身への扉 Love & Peace | 自分自身への扉

自分自身への扉

答えは自分が知っている

みなさん、こんにちは。


経験というのはとても大切で、経験するからこそ、それについて話せるということがあります。


それが嫌な経験であっても、その経験をしたからこそ、そこに気づきがあり、けっしてうわべだけではない自身の経験を通して語る深さがあります。


スピリチュアルな話題も同じで、経験から話すのと聞いて知ったことを話すのとでは、やはり話の重みが違います。


ですので失敗と言う経験は無駄なことではないし、苦しい経験も決して無駄なことではなく、すべてとても貴重な意味のある経験だと思います。


そして、たとえ同じ経験をしなくとも、人が経験したことを聞くことは私たちにとってとても役立つことがあります。


私たちは一人ですべてを経験できません。何故なら環境も性格も好みも違うからです。そして、経験はものごとの大小ではありません。


ですので自分では出来ない経験をそれぞれ違う個性がするということに、とても価値があるのだと思います。


この自分という個性は唯一無二のものです。他人とは違う自分しかできない経験をしているのですから、たとえどのような人生であろうと、価値がないなどと思わず、自分自身を大切に生きなきゃいけないなと思います。



スピリチュアルでは、すべては波動だ、周波数だとよく言われますが、周波数とはスピリチュアルだけで語られる話しではありません。私たちの生活においても科学的にその周波数が利用され、さまざまなことに活用されています。


周波数を合わせると、合わせたラジオ番組の音声が聞こえてきます。また、音の周波数(振動数)で物理的な力をくわえることなくグラスを割ることもできます。


周波数にはそのように物理的な力を与えるエネルギーでもあるのです。だということは、私たちの話す言葉もそうですね。


20年以上前ですが、「水からの伝言」(江本勝さん)という本が出版されました。言葉のもつ周波数の違いで水の結晶の形が変わるという実験を載せています。例えば「愛してる」という言葉と「馬鹿やろう」という言葉では水の結晶の形が違うといった感じです。面白いのは言葉として声に出すだけでなく、紙に書いた言葉の上に水の入ったコップを乗せて実験しても水の結晶の形が変わるのです。つまり音だけでなく、文字にも周波数があるということになります。


先ほどの水の結晶からわかるように、私たちの身体の約70%が水で出来ているのであれば、当然、私たちの身体にも、さまざまなものからの影響を受けていると言われても、確かに、と納得できます。


「水からの伝言」で紹介されているのは「愛してる」や「ありがとう」と言った言葉の結晶はとても整った綺麗な結晶の形ですが、馬鹿やろう、殺してやるなどの言葉は崩れたような結晶になっています。


ただ、私が言いたいのは「馬鹿やろう」と言う言葉が悪い「愛してる」がいいと言ったことではありません。


それぞれ言葉のもつ周波数というのもあると思いますが、その人の感情や意識なども水(結晶の形)に影響していると考えられます。


「馬鹿やろう」と憎しみを込めて言うのと、照れて「馬鹿やろう」と言うのとでは、また違った周波数になっているはずです。


素粒子の実験では、人の意識で結果が変わるといわれています。例えば同じ実験をしても、その実験をした人により、結果が変わることがあるわけです。それは、その人が必ずこう言う結果になる、と強く思っていると、その思いが結果に影響するということです。


ですので水の結晶においても、同じ言葉を投げかけても人によって結晶の形は違うはずだと思います。


綺麗な結晶が良い、崩れた結晶が悪いということではなく、そのように見えない周波数が影響し合って形になっているということを言いたいのです。


思いが形になるのは、その周波数(波動)の影響であり、それは創造のエネルギーでもあるわけです。


固有の周波数というのがあり、石や木、猫など、それぞれ異なった周波数で存在しているため姿形が違います。石には石の周波数、猫には猫の周波数があります。


また物理的なものではない、感情や意識の違いも、それぞれ異なる周波数を持っています。


なので、思いが形になる「引き寄せの法則」「波動の法則」と言うものも納得できるのです。


それぞれに固有の周波数があるなら、その周波数を使えば、それが周りに現れても不思議ではありません。


何故ならこの世界そのものが周波数で成り立っているのですから。


これまでの世界は見えるもの物質的なものに価値をおき、そこから物事を組み立てようとしてきました。そのように誘導されていたと言ってもいいかも知れません。


ですが、これからは、見えないものに焦点が当てられる時代に変化していくと思われます。


科学(見えるもの)もスピリチュアル(見えないもの)も決して切り離して考えるものではありません。西洋医学と東洋医学もそうです。どちらも必要不可欠であり、それらを一つのテーブルに並べて見ていかなければ真実は見えてきません。


それがこれからの時代だと思っています。違いを排除するのではなく、その違いを認めて、全体を包み込んでいく、つまりそれが「愛」そして「 Love&Peace」の世界だと思います。